定年後・田舎作って・コメ野菜

房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。穫れた作物は横浜の家の玄関先で販売、最近では配達もやってお客様に喜ばれている。

インターネットがつながった

 乗り込む前から気になっていたことの一つに、果たしてインターネットがつながるかというものがあった。そのあたりは「インターネットは微妙」で触れた。
 最初の日は基本的に掃除の日だったが、その合間を縫ってモデムやルーターなどの機材を取り付けた。一段落して設定をしながらつないでみると、あっけないほど無事にインターネットがつながった。速さは1.5Mbpsだから、ADSLの走りの頃を基準にすれば立派なものである。大容量のデータをDLするような場合は気になるかもしれないが、通常のHPの閲覧やメールチェックなどでは全く問題がない。
 カミサンは、「せっかくこういう環境で農業をやろうというんだから、ここではインターネットをやめたら」というのだが、経験のないことを始めようというときに強い味方がいるわけで、まずはほっと一安心というところだった。
 

耕耘機の状態

 ヤンマーのUP-2Hという小型乗用耕耘機があることは事前に確認していたので、それの状態チェックも最初の仕事の一つだった。先代所有者さんは使っていなかったらしく、7~8年間もの間納屋に入れられていたから、全体はかなりのホコリに覆われていた。ぬぐってみると真新しいボディが姿を現すのであまり使われていなかったようだが、詳細にみるとバッテリはカラカラ、ガソリンタンクやキャブまでの経路も乾燥している。更にフロントのタイヤはぺちゃんこでひび割れている状態。ちゃんと残っていた取扱説明書などから、購入店が判明したので声をかけ、とりあえずタイヤは持ち帰ってもらい、あとはその後ということになった。

UP-2H.jpg


 しかし使えるかどうかは主要な関心事であり、それによって色々計画が変わってくる。そのため、農機具点へのバッテリ交換依頼をキャンセルして自分で買ってきて取り付けてみた。キャブまでは一応ガスが入り、かなり長いクランクをしてみたら、咳き込むようにエンジンがかかった。オイル交換もまだだったから直に止めたが、とりあえずの畑や田圃作りにはこれが役立ちそうだ。長期的には自然農法によるつもりだから、だんだん出番は減っていくはずだが。


耕耘機(座席)
 

大多喜町会所の歴史的成り立ち

 挨拶回りをする中で、何件かのお宅から昔の成り立ちを聞いた。このあたりは、終戦後(戦時中という話もある)に開墾地として開かれ、現在の皆さんの先代あるいはその前の方々が入植されたらしい。山間の(おそらく2町歩/戸程度)土地を開くのは容易ではなかったはずで大変な苦労をされたと思うが、その中で家族のような付き合いができていたんだろうと推測された。
 私の家の先々代の持ち主はそうした由来の方だったようだ。納屋に入って色々みてみると、農業機械も含め欲しいと思うものは大抵揃っている。ほこりだらけだがきちんと整理されていた様子が見て取れる。一度お目にかかってみたいものだと考えたが、8年ほど前に息子さんの家に移られたあと、数年前に亡くなられたらしい。残念なことである。
 最寄りの駅から10キロ、最も近い商店やコンビニも同じくらい離れているのにバスもない、というこのエリアでは年配の方はとても住みづらい。来てみると自然環境も人の和も素晴らしいと思うのだが、何とかそういったものを存続させる方法はないのだろうか、と感じさせられた。
 

ご近所への挨拶

 購入を決めてから実際に入居するまでは2ヶ月弱、楽しみながらあれこれシミュレーションを重ねたこともあって随分長く感じたが、1月30日に初めて(正式に)乗り込んだ。ステーションワゴン1台分の手回り品を持ってのとりあえずの入居であり、1週間後の家財の搬入前に掃除などの準備をしておこうというものだった。
 やることはいろいろあるのだが、とても重要と考えていたものにご近所への挨拶があった。このエリアでは「区」という一つのまとまりがあるようで、私の家の2軒前から約1.5キロの間に所属10数軒の家が散在している。家内での最初の一仕事を終えたあと順次回り始めた。
 実は1週間前にも来ていて、「樅の木庵」という地域の人たちが自主運営している蕎麦屋(蕎麦打ち教室併設)に顔を出していたから、ある程度は情報も伝わっていたようだが、突然の乱入者である我々に対し何となく暖かく受け入れてもらえそうな感じであった。どちらのお宅でも、上がり込んで話し出したら終わりがないくらいになりそうな印象だった。こちらとしても聞きたいことは山ほどあるが、やるべきこともまた限りないので、残念ながら玄関先で失礼せざるを得なかったのである。
 
 やはり高齢化は進んでいるが、特におばあちゃんたちは元気である。相互に離れてはいるが、ヨソのお宅の様子などもよくわかっていて、なんだか集落全体が大きな家族のような感じだった。新米の我々のこともウォッチされているようで、「さっき草刈りしていたね」なんていわれて、私が真新しい草刈り期で山の草を刈っていたことも認識されていたくらいだ。全てのお宅で、素人農業をやると宣言したから、一体全体本当にできるの? と皆さんから注目を受けるであろうことは間違いがない。

田舎予定地の概要

 前のBLOGの再掲と重なってくるだろうけれど、これから田舎に仕上げ農業をやっていく場所そのものを紹介しておこう。

 そこは房総半島の中央部の南側に位置する。分水嶺をくぐるトンネルを抜け10キロ弱南に行くとそこは海だが、こちらの田舎予定地はそんなことを全く感じさせないほど山奥である。広さは、昔の単位で一町歩、うち半分弱が原野という地目となっている山と川付の土地。残りは畑と宅地。畑のうちかなりのエリアは昔田圃だったようだ。
 不動産仲介業者の説明によると、「浮き世を離れた仙人のような生活をしたい方にお薦め」と書いてあるが、ほぼその通りかもしれない。携帯はつながらず、害獣(イノシシ・鹿・山蛭など)が出没する、最寄りの駅まで10キロ弱、最も近い店までも10キロなどと、真剣に検討すると尻込みしてしまうような言葉が並ぶ。
 ただ、色々田舎暮らし用の不動産をみてきたが、これほど広い敷地の物件は例がない。まあ、広ければいいというものではない、徐々に紹介いていくことになるが、色々考えていくと潜在的なポテンシャルというか、やってみたいことの多さはきっと他とは比べものにならないくらいではないかと思う。
 現状は、畑は草原だし山は林の状態だが、これまでの調査や検討の結果で目標というか当面の利用計画は決まりつつある。それは次のようなものである。
 
e0d56e1b.jpg


 
 ABCは畑、Dは田んぼ、Fは果樹園、Gはキノコ栽培用地とかなり盛りだくさんである。実際には1月末に入植したものだから、春から始まる今シーズンに向けて、やること山積み状態といったところだ。

 ところで、現在と昭和49年当時の田んぼがあった頃の航空写真を並べてみる。この2枚の上半分、現在はほぼ草原だが、それを上の図のようにしていくのが当面のミッションだ。


敷地今昔

前の記事の転載

ここの前に使っていて、既に消去してしまったBLOGのバックアップを取っていました。 試みにそのうちの2件をアップしたらうまく移せたようです。現在の記事と混ざるとごちゃごちゃしそうですが、一部については再掲載してみることにします。

とりあえずのご挨拶

 60歳という年齢は、今も昔も一つの区切りなんだと思う。ということで、昨年(2008年)暮れに還暦と定年が一度にやってきた。こういう事態は当然予測されていたので、ちょっと前からどんな方向を目指そうかということは色々考えていた。昨年夏ごろに考えていたのが「農楽文画」というキーワード。農業・音楽・文章・絵画という具合に漢字を足すとわかりやすくはなるが、ちょっとイメージからは外れてしまう。農・楽・文・画という具合に、いろんなことを中途半端にやる感じが良かったんだが。

 ところがそのうちに、一文字目がやけに気になるようになってきた。田舎暮らしもいいんじゃないかと、横浜からはアクアラインで一走りの房総エリアで手頃な物件を探し始めたら、それにどんどんのめり込んでしまった。そんな中で、「かなり理想に近い」とある物件が目についてしまう。

 房総半島の背骨の南側、大多喜町から勝浦に抜けるトンネルのあたり、会所という地名になるが、そこで3000坪の土地付きの家が売りに出されていた。その約半分は山である。残りが畑と家の敷地。家のほかに納屋もあるが、そこには農業用機械が収まっていた。中途半端ではない農業をやりなさいといわんばかりのものである。携帯がつながらないし、イノシシ・鹿・猿・山蛭などが出没する山奥であるとか、車がないと生活できないといった問題はあったが、今までのサラリーマン生活から転身する環境としては申し分ないように思えた。ただ、年金はすぐに出ない世代だし、何年かは勤めは継続するので、両立についてはちょっと問題含みではあるのだが。

 そんな土地と建物にようやく入植した。購入を決めてから2ヶ月くらい、一体何をやるかを考える毎日が続き、頭の中ではかなり多岐にわたるシミュレーションは重ねてきた。年末年始のあたりには別のBLOGにそうしたことを書き始めていたのだが、ちょっとした操作ミスで更新ができなくなり、あらためてここで再開することにした。前のBLOGにはいろいろ書いたが、いずれも頭の中で考えたこと主体だった。ここでもそんなシミュレーションを再度書き込むけれど、実際にやったことを主体に書いていこうと思う。団塊の世代が定年を迎えるこの時期、タイトルにも入れてある「定年帰農」という言葉が一種のブームになっている。だが、いざやろうと思っても常識的な判断から思いとどまる方も多いと思う。我々の場合は思い切って飛び込んだわけだが、そんなことがうまくいくのか行かないのか、リトマス試験紙のようなことも私自身およびこのBLOGの重要なテーマだと思う。ということで、にわか農業人の生活を紹介していきますのでよろしく。

畑などの面積、再計算結果

 昨日書いたように、全ての根拠にしていた航空写真の縮尺ミスを是正してみた。それによると、

    A敷地=  288㎡

    B敷地=  300㎡

    C敷地=  480㎡

    D敷地=2,727㎡

    小計 =3,795㎡

という結果になった。

登記上は、畑と実質畑となっている宅地を合わせて4,308㎡あるが、この計測は傾斜地や通路部分をのぞいた正味の畑の面積である。



 なお、山の一部を果樹園として開墾するつもりだが、これはF敷地=1,900㎡程度と考えられる。これを合算すると5反歩を超えるから、いわゆる農業資格を取る条件を満たせそうである。



航空写真の縮尺ミス

GoogleEarth の高さ機能を使ったついでに、距離測定機能を使って敷地の長さを測ってみたところ、今までベースにしていた航空写真の縮尺が約1割間違っていたことが判明した。長めになっていたのである。面積では81%になってしまうから、かなりの目論見違いが出てくる。

そういえば、畑地の面積が多いように感じてはいたが、畑の中に昔の宅地部分(300㎡程度)がそのまま残っていることや、昔の面積が実測で増えることはよくある話だから、それほど気にはしていなかった。航空写真は、最新のGoogleEarth版、NTT-ME版と1974年当時の3種類あるが、一応縮尺を正しくすることや、エリア別の面積計測をやり直さなければならない。まあ、測量時に気付くよりは事前に気がつく方がよかったと納得することにしよう。

害獣との戦い(狩猟免許編)

 害獣との戦いでは、農作物を護る外柵のことを話した。 まあ、それも行うんだが、調べてみたら千葉県の狩猟免許試験が3月8日にあり、その1週間前に千葉の猟友会が主催の講習会があり、色々忙しい時期ではあるが計2日間かけてワナの免許を取ることにした。



 当然のことながら、狩猟免許の本があるだろうと探してみたが、アマゾンでも見つからない。古本のサイトを軒並み当たったがやはりだめ。結局、大日本猟友会のサイトでみつけたんだが、そんなところで買うくらいなら講習を受ければもらえる可能性もあるし、一週間前の講習で詰め込むことにした。



 カミサンからは、捕れたらどうするかは考えているのか、という指摘もあったがそこまではとても考えている暇はない。ただ、被害にあって手をこまねいてみているのも悔しいので、とりあえず免許は取っておくという感じである。大多喜町では、町がイノシシについての処理を引き受けてくれるようだ。道の駅でも肉が販売されていた。私は、本当のところは野菜よりは肉を好むので、自分でも消費しようという気持ちはあるが、それはおいおいに・・・・
プロフィール

房総で百姓やってる...

アクセスカウンター

    記事検索
    メッセージ

    名前
    メール
    本文
    最新コメント
    月別アーカイブ
    • ライブドアブログ