定年農家という我々の立っている位置は微妙である。一応収穫したものや採取物は横浜の家の方で販売しているが、とてもではないがこれで食っていけるというものではない。毎週、生活上の本拠地である横浜と農場の間をアクアラインを使って往復している交通費と、タネ・肥料代その他消耗品類費用の回収くらいがいいところで、インフラや農機への投資を回収するようなレベルではない。一応定年後の再雇用という制度があるため、勤めを続けているから生活はそれで賄うという感じだ。年金受給となってもそのあたりは同様である。しかし、田んぼ2反歩+畑2反歩という規模は趣味のレベルをはるかに超えており、土日農業では追いつかないのが実際のところだ。ただ、企業に所属して1要素として働くのではなく、自然を相手にしながら自分ですべてを決め、その結果のプラスもマイナスも直接受けとめるという状況はとても新鮮なもので、傍目には大変と映ろうとも、あまり苦労と思わずにやっていけるのである。それがいつまで続くかは予想がつかないけれど。そんなことから、定年を迎える人たちにこんな道もあるよと示し、できることもできないことも伝えるということは意味があると思うし、それこそがこのBLOGの本分だと考えている。
 ただ、今年の春に大多喜町農業委員会に営農計画書を出し、農業従事者として認定されたということもあり、そのような安直なレベルに留まらずに、もっと「業」を極めて生業とする方向を目指そうじゃないかという気持ちも強い。このあたりは共同でやっているカミサンの意識とはかなり違っているところだと思うけれど。そういう目で1年半の経過を考えてこれからの組み立てを考えて行くことにする。

>>>>> 続く