日々、身の回りのミクロの農業に追われているが、もっと世の中的に視野を広げてみるとこのままでは出口がないのは明らかだ。農業の担い手はいなくなり、耕作放棄地だらけになり、食料はさらに外国からの輸入に依存することになり、食の安全はおろか確保さえ大変になってしまう恐れは十分にある。にもかかわらず、この国の政治家たちは何もできずにうろうろするばかり、官僚たちはカタストロフィでも待っているかのように何も手を出さない。ということで、断片的に浮かぶ色々なキーワードを並べてみた。例によって、frieve editor という優れたフリーソフトのお世話になり。これからも考えをまとめていくつもりである。

64a53bef.jpg


 まず、一番上に関係しそうな社会事象を並べてみた。冒頭に書いたものはここからのピックアップだが、実は今回の震災津波・原子力被害で生活のすべてを失った方に新しい農業生産システムの一端をになってもらうという要素も大きいのではと思う。一番の問題であり出発点は、農業を担う人たちをどのように増やしていくかという課題である。現在の農業人口は、激減している上に高齢化が進んでいる。62歳の私など、きっと若手といっても通用するはずだ。この問題は、農業自体の魅力がない、さらにはこれでは食べていけず、子どもを育てるのも大変だという状況になってしまった構造的な問題に起因するところである。解決策はまだない。これから考えるのだ。
 さて、最初の問題が片付くと、農地供給の問題がボトルネックになってくるはずだ。私も、現在の農場の土地建物を買ったあと、農地については本当に自分自身のものにするのに1年半近くかかった。でも手に入ったからまだいいだろう。耕作放棄地は半端ではないほどあるはずだが、農業をやってみたい人がいても、誰でも気軽に農地を探して借りたり手に入れる仕組みはあるとはいえない状況だ。これも多角的に考えて創出・提供する必要がある。
 それで、担う人がいて使える農地が手に入ったとしよう。それだけでは問題は解決しない。産業としての農業が担い手を集めて永続的に回転していくためには「生業」として成立することが必要条件になる。その場合、生産物を消費者に販売するという事が必要になってくる、しかも生活できる価格で。現在も農協をひとつの柱とし、都市部の市場を中心とする流通機構に載せる手段があるのだが、これが農業者のためになるように機能しているかどうか、生活できる見返りを返せているかは考える必要があり、まだ別のルートも模索したいところである。
 それから、農業生産の活動をサポートする仕組みはどうしても必要になるだろう。「農業はバクチだ」というのは、まだ我々が現農場の購入を決断する前、ご近所の人達に話を聞こうと訪ねたとき、今も大事な先生である隣のおばあちゃんの最初の教えだが、農業生産品はどうしても相場に左右される。その決定要因は気候や作付状況、虫や病害の発生など多岐にわたる。それを結果が出るまで待つだけでは何時まで経っても状況は改善されないだろう。もうひとつ考えたいのは、例えば農業機械などの融通だ。人手だけでできることはしれており、農業機械は画期的な効率向上につながるが、そう簡単に購入することはできない。買えるほど収益を期待できるようになればいいけれど。通常の人力を含め、相互扶助や融通をする仕組みは考えたいところだ。
 
 上に掲げた絵は、一応5つの大分類に分けて整理をし始めたものである。頭の中で作るものではなく、世の中に通じる仕組みを考えていきたいと思う。そのためにキーになるのは、作る人と求める人が商業的につながりを持てるような仕組みの構築にあると思っている。