ガソリンの安い国だからあまり気にしなくていいんじゃないかと思うが、ワシントン近郊で暮らしている娘からこれについて質問があったから、整理してみる。
 もともとは私が自分で考えたものではなく、プリウスαを注文したことをきっかけに、プリウスを徹底的に乗りこなしている皆さんの走り方に触れる機会が増え(URL経由)、その中で自分なりの考えも織り込みながらやっている方法である。この数週間にわたって実施しているが、今の車は私のみが使っているわけではなく、カミサンが街中をブイブイいわせながら駆けている部分もあり、特にジャガイモ収穫後はそのウエイトが増えているので実際の数値としてはまだとらえ切れてはいないが、感覚的にはかなりの好結果が期待できるとみている。
 
 基本的な考え方としては、電車方式である。私は子供のころから(チャンスがあれば今でも)、電車の運転席の真後ろに陣取り、運転手の操作やメーターの動きをみるのが好きなんだが、電車で駆動力をかけている時間の割合はかなり少ない。電車でGO!をやっても、そのあたりは体感できるけれど。加速してある程度の速度になったらあとは空転である。速度が落ちてきたらまたモーターに電力を送り込んでいる。
 電車は、鉄のレールの上を真円に近い鉄車輪が乗っかっているので、転がり抵抗はかなり低いはず。クルマは道路とタイヤの間の走行抵抗に空気抵抗も加わるから、惰性で走れる距離は電車ほどは多くなく、スピード低下も早いけれど、同じような走り方はできないこともない。私はなるべくそのように走っている。イネの育て方で、「への字稲作」という方法がある。肥料のきき方をへの字カーブにするというものだが、この走り方もへの字である。ギュッとスピードを上げて、ダラダラと惰性で走る。
 空いたフリーウエイや田舎道などがテストに適していると思うが、まず(下限)速度を一応決める。たとえば60マイルとか40マイルとかである。その15~20%上あたりまで加速し(この場合遠慮してソロソロでなくても可)、アクセルを緩めると同時にNレンジにシフトする。なるべく転がるように心の中で励ます。下限速度に落ちたら再度加速する。これをずっと繰り返すのである。道路はまっすぐでもなく平らでもないから、上り坂を加速区間にして下りを惰性区間にしたりすれば効果は大きい。カーブも、脱出時を加速区間にするとか、カーブの手前を惰性区間にするとか、前方の信号に合わせて区間設定をするなど、考える要素は色々あるので退屈はしない。要は、効率よくガソリンを使い惰性で走る区間を伸ばすということである。
 Nレンジにするとアイドリング状態となるため、燃料がカットされるエンジンブレーキ状態に比べて不利という話もよく書いてあるが、実際にやってみるとNにしなければたちまちスピードが落ちてしまい、惰性走行などできたもんじゃない。アイドリング時のわずかな燃料に比べ、空走する距離のことを考えれば割に合いそうである。ただ、当然のことながらエンジンブレーキが効いた方がいい下り坂であればNレンジにすることはない。
 
 一応リスクのことにも触れておこう。この類の話には必ず壊れても知らないよという警告が付随している。もっともらしい話としては、AT車ではNレンジだとミッション内のオイル循環が不十分となり、冷却も不十分となって破壊につながるというものである。運が悪かったり、ATオイルの状態が悪かったりするとそうなるかもしれない。だが、うちの13万キロ以上走ったフィールダーでは、ほとんど心配していないし、壊れてもいいような気分になっている。早ければ来月には納車だし。ただし、CVTだと中の仕組みがわかっていないから何とも言えない(CVTはダメと書いてあるHPあり)。
 リスクについて0更に細かく言うと、車というものは駆動力をかけていないと不安定とか、とっさのときにアクセルで逃げることができない、などという指摘もあるが、そういう問題が発生しそうなところでは、そもそもこんな走法は使うべきではない。長い距離を淡々と走るときにこそ意味があるものだと思う。一旦スピードに乗ってニュートラルに戻すと、エンジン音は弱まって風切音やタイヤの音などが残るが、結構静かになって面白い。条件さえよければ2割くらいは向上するとみているので、やってみてください(自己責任で)。
 そうそう、これはいっておこう。先に書いたリスクは実はあまり心配ないと思っているが、注意しなければならないのはエンストである。走行中にエンストすると、ステアリングとブレーキのアシストがなくなってしまう。力いっぱいやれば曲がるし停まるが、絶対にあわてるはずだ。スローが不安定な車は現代の電子制御の車にはないはずだが、そんな予兆があったら何よりも先にサービス工場に入れる必要がある。

 私も計測してみたいが、燃費計などもついていないので、現在の車ではちょっと無理。このHPでいろいろ分析しているようである。