父親が役人だったため、高校生になって何とか落ち着くまでは全国を転々とした。大阪についていうと、中学2年の夏休みに徳島から引っ越してきて、1年後の中3の夏休みに東京目黒区に引っ越しをした。どちらも夏休みのまっただ中に引っ越しが決まったから、9月になったら忽然と姿を消すというパターンである。その頃の大阪市内では一部の受験校に越境入学することが普通で、私も18クラスあった東中学という公立の学校に市電で通っていたから、そばに住む友達もおらず、「引っ越しするんだよ、バイバイ」なんていう挨拶もなしに次のところに移ったのであった。
 そんな状態だったから、大阪で過ごした1年間の想い出は少ない。家の2階から見える景色で2つ、大阪城と乳業会社の牛乳瓶の看板程度だ。大阪城は一応ライトアップされていて、それが消える頃に眠りについたような気がする。ずいぶんあとに大阪を訪れたとき、住んでいた家を探そうと近所の自動車学校あたりから辿ってみたが、さすがに半世紀近くの時間は記憶も(もしかしたら)家自体も消し去っており、想い出をつなぐことはかなわなかった。
 このような元家探しは大阪の前に住んでいた徳島でもやったことがある。第2室戸台風の際に膝あたりまで浸水した海のそばの家も、残念ながら見つからなかった。今から再度チャレンジしたら、Google Mapや進歩著しいナビの力を借りて探せそうな気もするが、歳をとるとなかなかおっくうになり、それの実現はなかなか難しい。ここで話していたのは半世紀も前のことだが、今日常的に見ている景色や様子についても、個人差はあるだろうが記憶の断絶は必ずやってくる。特に歳をとると著しいと私は感じている。
 それにしても大阪駅周辺はすごいことになっている。東の東京駅周辺もずいぶん変わったが、南北のゲートホテルの間の大きな空間に位置する大阪駅は、東京駅よりもなんだかダイナミックである。私は、ホテルの向かうシャトルの発車場所を探してそのあたりを右往左往した。横浜と大多喜をアクアライン経由で往復するという比較的単調な生活を繰り返している身には極めて大きな刺激だった。
 
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