時間的な前後関係はあまり正確ではないが、留学から戻ったころはいわゆるパーソナルコンピューターは黎明期の少し前だったと思う。1977年創刊のアスキーは愛読書の一つだったし、基板から組み立てたコンピュータ(当時はマイコンと呼んだ)も2台あった。しかし残念なことにどちらも動かなかった。
 そのうちにNECからPC8001をはじめとする初期のPCが発売になり、すでにいろいろなプログラミングマシンを使っていた私としては仕事にもつかえるんじゃないかと思い始めた。そこで、会社の中で買ってほしいといい始めたが、なかなか簡単にはいかない。大型機は日立だったので電子計算機部門が口を挟んできたのである。それでベーシックマスターレベル3という機械を入れることになった。まだOSなどというものは概念すら存在せず、BASICにディスク操作機能を付け加えたものだったのである。ないよりましとは言うものの、マイナーな機種だから市販のソフトはないに等しい。今のように、Windowsさえ載せてあれば色々なソフトを組み込めるなんて言う便利な状況ではなかった。このあたりは今の時代しか知らない人には到底理解できないと思われる。
 そこでやったことは、汎用ソフト作りだった。第一番目はマトリックス計算のソフト、今でいうならエクセルだろうか。縦・横・頁のマトリクスでデータを持ち、色々な演算を行えるものにした。例えば、1ページ目の各数値と2ページのそれを掛け合わせて3ページ目に入れるといったページ単位の計算もできるようにしたはずだ。続いては、データーベースソフトも作った。DiskBasicの固定長ファイルという形式を使ったもので、項目を自由に設定でき、ほぼ無限大のレコードを処理できるというものだった。会社の中にはそのレベル3が色々なところに入り始めていたので、前者は「Hint」後者は「Base」と名付けて会社中に配布するようなこともやった。
 そのうち、PCは8ビットから16ビットにステップアップし、日本語処理機能が使えるようになってきた。世の中ではNECのPC9801が一般的だったが、日立にこだわる人たちもいて、B16という希少な機械がやってくることになった。このころになるとMS-DOSが載るようになっていたが、B16は漢字の表示はできるが、かな漢字変換の日本語入力がないという基本的な欠陥があった。そこで、かな漢字変換のサブルーチンを作ってHintやBaseなどの使用するソフトに組み込むというようなことまでやった。これは、何かの辞書データを手に入れ、熟語と読み仮名の組み合わせデータを取り出してファイル化し、読み仮名を入れると対応する熟語を選び出すというものだった。
 今となってはそのいずれの痕跡も残ってはいないが、それほど暇ではなかったはずなのにずいぶん一所懸命にやっていたみたいだ。HP-35で培ったプログラミング能力がずっと発展していったんだと思う。(続く)


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