今回は車の話だ。大多喜町会所の農地家屋を購入して乗り込んだのは2009年1月の末だったので、ちょうど10年が経過したところだ。10年という区切りについては何度か書いているが、その間ほぼ毎週横浜と大多喜町を往復しているので、合計すると500往復以上という勘定になる。往復はだいたい200Kmだから、その往復だけで10万キロだ。実際には配達や買い物にも使っているので、300Km/週くらいは走っているし、それ以外の利用も含めると20万キロ(2万キロ/年)は走ったんじゃないかと思う。過去に、学生時代や通勤に車を使った時期には3000キロ/月ということもあったが、ほぼその次のレベルで車をよく使った。そもそも、農場から最寄りの駅(外房線天津小湊)までは10Kmもあり、路線バスも最も近い粟又の滝までは6Kmほどあるから、車がないと普通の生活は無理なのである。
この10年間で、体力的にはかなり劣化が感じられるようになったが、この通り車というものにかなり依存したライフスタイルになっているので、どこまで続けられるかということは、いつまで運転できるかということとほぼイコールである。今年の暮れには免許の書き換えがあり、70歳を過ぎているから以前とは違うチェックもあるはずだ。車も、メインがハイブリッドになったり、他には2台の軽トラがあるだけだし、運転のスタイルも完全に変化した。走ることへの執着はいまや皆無で、道具として使うだけだ。野菜を運ぶ、材料を運ぶ、えすかる号を運ぶ、いつもなにか運んでいるな。まあ、細く長くやっていこう。
10年間を振り返るシリーズ
定年後の10年間を振り返る(1)
定年後の10年間を振り返る(2)
定年後の10年間を振り返る(3)
定年後の10年間を振り返る(4)
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この10年間で、体力的にはかなり劣化が感じられるようになったが、この通り車というものにかなり依存したライフスタイルになっているので、どこまで続けられるかということは、いつまで運転できるかということとほぼイコールである。今年の暮れには免許の書き換えがあり、70歳を過ぎているから以前とは違うチェックもあるはずだ。車も、メインがハイブリッドになったり、他には2台の軽トラがあるだけだし、運転のスタイルも完全に変化した。走ることへの執着はいまや皆無で、道具として使うだけだ。野菜を運ぶ、材料を運ぶ、えすかる号を運ぶ、いつもなにか運んでいるな。まあ、細く長くやっていこう。
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