0301初代ロードスター息子提供

 18歳で免許をとってからこれまで、結構多彩な車に乗ってきた。今思い出そうとしているが、全貌は見失っているかもしれない。しかし、個性豊かなものが多かったので、断片的に記憶に残っている。一番気に入っていた車はなにかという質問には答えにくいが、一番密接だった車は、やはりロードスターだろうな。

0228息子のNA6CE
   これは最初のものではなく、息子があとで買ったやつと思われる

 1989年9月の発売とほぼ同時に納車となり、1998年7月に9年弱乗って手放したときは24万キロを走破していた。最後の2年半くらいは、私はインプレッサに乗り換え、ロードスターは息子が乗り回していたのだった。
 この素晴らしい車の発売の頃を振り返ると、車はカミさん用のFFジェミニ(サニーかもしれない)があるだけでわたし用の車はない時期だった。のちに買うスーパーセブンのために一時期乗っていたFIAT RITMO 130TCを手放したあとだったと思う。弟が仕事でマツダと付き合っていたから、情報は早く入ったしありがたいことにマスコミ向けの最初のロットのうちの1台を手に入れることができた。しばらくのあいだは普通に遊びで乗る感じだったが、2年ほどあとに仕事場が移った。赤坂見附から臨海副都心に変わった。当時は中止となった都市博以前で、陸の孤島状態だったから、大手を振ってロードスターで通勤した。まあ、定期代相当額しか出ないので、高速代などは自腹だったが。そんな状況だからツキ3000キロ以上走る時期が続いたのだった。
 その当時、マツダのスポーツ部門だった「マツダスピード」が晴海にあり、新木場の仕事場から近かったので、何かあればここに持ち込んでいた。ロードスターは現代の車になっており、壊れることはほとんどなかったが、ブレーキパッド・クラッチディスク・タイミングベルト・ショックアブソーバーなどは定期交換していたから、ボーナスのたびに20~30万は払っていたんじゃないかと思う。バブリーな時代だったからね。
 1年半後の91/3には33333キロとペースは低かったが、通勤利用し始めてからはどんどん増えて、93/3に10万キロ、94/11に16万キロを走り、96/3に19万キロのところで息子に渡したらしい。息子もそのあとどんどん乗ったらしいが、22万キロ走った97/3にギアがバックに入ったまま抜けなくなり、勝どきから新河岸に移っていたマツダスピードに持ち込んだ。ミッションやクラッチのOHをやったのだが、1番シリンダーの圧が出ていないことが判明、リビルドエンジンへの載せ替えも行った。
 手放すことになるのはそれから1年と少し経った98/7のこと、息子はもう少し乗りたかったようだが、管理部門に戻った私が電車通勤に戻ったのでインプレッサが明いてきたこと、三浦半島の先端部に半リゾートマンションをかったので緊縮(?)財政に移行する必要ができたからだったはずだ。勤め始めた息子は自分で買い直したと思う。
 長く持っていたから色々な思い出はあるが、大きな区切りをかいつまんでたどってみた。まだデジカメもない時代だったから、写真のようなものは残っていない。しかし、会社でやっていたパソコン通信には色々なエピソードが残っており、曲がりなりにも時系列を追うことはできた。その後は、インプレッサを息子と区分して使いながら、やがてはスーパーセブンに乗るという、これまた楽しい時期に移っていく。しかし、ロードスターの時代はやはり懐かしい。

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