すでに書いたスバルサンバー(中古)に1年ほど乗ったあとに乗り換えたのはこの車だった。スバル360だけでなく、いろいろな軽自動車が出ていたが、いずれも我慢を強いられるものといってもいいだろう。車重は軽かったものの、なにしろ20HP程度の馬力だし、坂道では全く元気はないし、1.3m×3.0mだから大人4人にはきついものだった。そんな中で、本田宗一郎さんが送り出した軽自動車がこれだった。これも昔書いたものを紹介してみよう。

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91-05-09 23:19:15 SMRT8001 くるまたちの四季 (HONDA N360)

HONDA N360
まだこのくるまのことを書いていなかったのは、この前のサンバー編のときに気付いた。ちょっと驚いた。これも忘れられないくるまだったから。(これは当時のシリーズ物の5番目だった、著者注記)

大きさ・排気量は軽規格、しかし馬力が31HPだった(他の軽自動車の5割増し)。最高速度は、一応115KM/Hとなっていた。普通のくるまに混じって、文字通り小さくなっていた軽自動車の中でひときわ光輝いて見えた。しかも価格は31.5万円と格安。HONDAがS600やT360に続き、本格的に四輪車に乗り出す狼煙のようなくるまだった。当然、発表直後から予約は殺到。我々もその中に入っていた。

納車直後の記憶はなくなったが、3日で1000キロ点検、2週間で3000キロの点検という具合で、サービス工場もびっくりというペースだったから、狂喜乱舞だったのだろう。朝暗いうちから起き出して、母親と兄弟3人で伊豆を一周、400キロくらい走って帰ってくるというようなことはしょっちゅうだった。なんという家族だろうか。1年半で5万キロほど走り、次のスバル1000SSに替えるまでの間、そんなペースで走った。車上生活ともいえる学生時代の前半を過ごしたくるまで思い出は多い。

一度、くるま荒らしにあい、フロントシートとタコメータをとられたりしたので、それからは一人前にバケットシートをつけて走り回っていた。オートバイのものをベースにしたエンジンは、くるまらしい音は発しなかったが掛値なしに9000RPMまで回り、各速のMAXは30,50,80KM/Hくらい、最高速は120キロのメータを軽く振り切った。今まででたった一度の事故を経験したのもこのくるま。450CCと、このくるまのエンジンより大きいバイクと交差点でぶつかった。へこんだフェンダーは、自分で叩きだし、パテ塗りでごまかした。

遠距離も走ったことがある。兵庫の親戚を訪ねて行ったことがあった。まだ名神高速の一部しか開通していなかったころのはずだから、徹夜で10数時間かけて東海道を往復した。伊豆のどこかのトンネルで、中が未舗装のところがあり、調子にのって飛び込んで強かに腹を打ち、割れたマフラーから爆音をたてながら帰ったこともあった。そういえば、まだ寂しかった鎌倉の朝比奈切り通しで、みてしまったのもこのくるまでだったはずだ。なにをみてしまったかは、どこかにかいたなぁ。

考えてみると、このくるまに乗っているときは、いつもフルスロットルだった。性能としては、現代のくるまに比べれば見劣りがするのだろうが、免許をとって最初の頃に乗るものとしては、極めて適当なものだったろう。目一杯の能力を引き出して走るのは気持ちのいいものだし、それが適当なレベルに留まっていれば、きっと運転もうまくなるはずだから。

このN360は、実はもう一台登場する。一台目のN3を手放してスバル1000SSに替えた後、ずっとペーパードライバーだった母親が運転するといいだし、N3のオートマチック(LとDの2速)を買い足したのである。これについては、悲劇的に遅かったこと位しか記憶は残っていない。

引用終了

半年ほど放置したせいか不調だったスバル・サンバーから乗り換えたもので、我々兄弟にとっては実質最初のくるまだった。何度かの規格拡大を経て、すっかり立派になった今の軽とは比べ物にならないが、それでも普通に大人4名が乗れて普通に走り止まった。なんでもどこでも走っていくというこれまでの車との関係を作ったものと言っていいだろう。文中にも書いたが、いつもアクセルかブレーキを一杯一杯踏んで走るというのは、運転に慣れるのには最良の方法の一つかもしれないと考えている。ただ、能力の限界が低めでないとかえって危険になってしまうが、31HPというのは実に良い加減のものだったとおもう。
エンジンは、ホンダ・ドリームCB450という当時の最高級の大型バイクのものをスケールダウンしたもの、4段のミッションも通常の自動車のものとは全く異なる感じだった。まあ、オートバイ的4輪車といってもいいだろう。タイヤはミニと同じ10インチ、ミシュラン履かせたが、このサイズは普通のパターンだったから、ホンダSFに持ち込んだときには「タイヤを裏返しにした車」と言われていた。当時はホワイトリボンタイヤが普通だったのである、もちろんラジアルじゃないやつ。わずか1年半の付き合いだったけれど、車で走り回る快感を教えてくれたのはこいつだった。

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