ちょうど定年を迎えたころにこんなこと始めて、14年目も半分が過ぎた。それまで市民農園で作物を作っていたカミさんとは違って、環境も仕事の種類もまったく違うサラリーマンを40年近くやっていた私には、相当大きな転機だった。再雇用で引き続きサラリーマンは続けることにはなったが、手に入れた農地は幸いなことに田んぼを作れそうという見当はついていたので(というか、選択の重要要件としていた)、第2の仕事として農業(特に米作り)を位置づけることができたのだった。
 もともとゼネコン社員だった私にとって、田んぼを作ったり畑を開墾するのはさほど畑違いではなく、10年くらい田畑としては使われていなかった農地(草原状態)は、すぐに元の状態に戻せたし、最初の年から米も収穫できた。調査・計画・準備・施工という手順を辿れば、工事造作はなんとかなるわけだ。どちらかというと、米作りを始めとする農業関連の知識などの方が何一つなく、今のようにいろいろな人がBLOGやYOUTUBEで発信したりということもなかったから、現代農業という月刊誌くらいが唯一の情報源で、隅から隅まで読んだのだった。その程度の情報レベルでもなんとかなったのは、植物が基本的に持っている設計図の優秀さだったのだろう。いろいろな環境の変化に応じ、生き方や成長の方向などを、予め作られているプログラムに因って決めながら成長しているように思えた。私から見ると、最低限の環境はなんとか用意はしてあげるが、あとは向こう任せ。植物自体の生命力が頼りだったようだった。
 食べるものなんか金払えば手に入る、金は勤めている会社が毎月払ってくれる、ということをそれまでは当然のこととしていたのだが、自分で作ったものを食べるという体験は、行動を土台から変えるのに十分なものだった。半農半サラリーマン時代を終わらせ、一応農業者として青色申告を行うことにしたのは定年後3年が経過した2011年末のことだった。税務署に青色申告承認申請書と個人事業開業届出書を出して、農業を仕事にする形は整った。などと、さらっと書いてはみたが、山ほどいろいろな問題にぶつかり、一つずつ解決していったのが最初の1年間だった。しかし、今思うとあまり心配はいらないと思う。米はタネ蒔いてから収穫まで半年以上の時間がかかる。初めてだと慌ててしまうが、時間のリズムはそれはそれはずいぶんゆっくりなので、どんなことでも対策が間に合わないということはあまりないように思う。
 それでこの記事は前置きなんだが、本題は標題の「耕作のすすめ」であって、今一度色々振り返ってまとめをしてみようと思う。食料自給率の問題は昔からわかっていたことなのに、国のレベルでは絶対に解決しないだろう。不安定な世情を見ると間に合うかどうか心配はあるが、やっぱり自分で作った物を食べることにはチャレンジしてもらいと思う。まあ、自衛の勧めと言ってもいいかもしれない。一応連載にするつもりだが、何度も試みているので、これまでと違う切り口になるかどうか。前の引用などもやるかもしれない。不定期になるが書いていこう。これまで「定年帰農」としていたが、「定年起農」とした、これがいいんじゃないか。

0616農場全景


0616監視カメラ画像


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