私のケースでは、50歳あたりから一応2地域居住をやっており、定年に際して現在の2ヶ所目に買い替えて継続したので、そのまま続いている。定年前は2ヶ所と言っても寝る場所が変わる程度だった。勤め人だから、そこでのコミュニケーションがほとんどで、地域との交流はほとんどなかったと言ってもいい。ただ、市民農園をやっていたカミさんは、そこの野菜作り愛好家の皆さんとの交流があり、それなりに充実した週末農業をやっていたらしい。

0623山の農場

 定年後の農場での暮らしを始めてからは、ずいぶん様子が変化した。私の方も、道普請や法事などに顔を出すようになったし、以前とは違ってご近所の皆さんとの交流も結構やるようになった。また、別にまとめて触れることになると思うが、横浜の家で直売をやったおかげで、お客さんとの交流ができた。定年退職後、仕事もなくなるが人との交流もなくなりがちではないかと思うが、両方でコミュニケーションが生まれたおかげで私の生活はずいぶん充実したのではないかと思う。
 子供たちが独立してから定年までの間、借金でリゾートマンションを買って返済していくというのは、金が入ればすぐ使うという私の行動パターンを見越したカミさんの戦略だったらしいが、おかげで定年時の買い替えはすんなりできたのであった。 ただ、耕作のための土地や田舎暮らしのための家は、買わなくても揃えることは可能だろう。当方の農地がある大多喜町は、この10年以上で人口が1割位強減っている。もちろん消滅可能都市の中に入っているが、町役場も危機感を持っていて、空き家バンク制度もずいぶん早くやっていたし、農地取得のための面積制限も、一般の5反歩以上から1反歩以上にして敷居を低くしたのもずいぶん早かった。そういった制度を使えば手軽に物件を手にいれる(借りる)ことも可能なはずだ。
 長くなったので、この項のまとめに入ろう。前にも言ったが、こんな生活始めて13年半、すでに定年後の生活の後半に入っているような気がする。このあとの時間経過により、車の運転ができなくなった時、医療や介護の施設に入らざるを得なくなった時、この田舎家しかなかったらかなり不自由になってしまうだろう。そう考えると、娘や息子がいる横浜の家にいつでも戻れるというのはいいかもしれない。(娘や息子の世話になる気はないけれど。向こうもその気はないかもしれないし。)このシリーズを通じて、自分の選択をひとさまに薦めるつもりはないが、この2か所居住だけは検討された方がいいと思うものだ。

Googleフォトで眺めて懐かしかったが、定年まで週末を過ごしたマンションは、海が目の前だった。西は三浦海岸、東は久里浜方面、真下はウインドサーフィンのメッカで、週末は多くの人が集まる所だった。冒頭の、山にかこまれた農場とは180度違う立地。両方あればよかったかもしれないが、とてもじゃないが行く暇はないだろう。 
0623海一望

0623海一望2

0623海一望3










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