定年後・田舎作って・コメ野菜

定年に到達した2008年末、房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。穫れた作物は横浜の家の玄関先で販売、配達もやっていたが、古希を迎えたこともあり、2019年春に毎週の直売をやめた。不定期の直売と宅配便利用のコメやイモ類の販売に移行している。

2008年12月

アクアライン

 横浜から房総半島への時間距離はかなり近い。アクアラインを使えばである。木更津の料金所を越えるまで30分程度しかかからない。だから、大多喜町の南端でも2時間程度でついてしまう。

 ところで、最近のアクアラインは通勤割引があり、元々の3000円の半分で渡ることができる。渋滞とも無縁だし1500円はかなり値打ちがあると思う。ただ、この割引は木更津料金所を通過する時間によるから、5時の少し前は入り口手前の側道に時間待ちの車が並んでいる。

 それにしても、高速道路の割引ほどわかりにくいものはない。一応ホームページには説明があるが、よく読まないとなかなか理解できない。一カ所を読んで安心してはいけない。全く違うところに得する情報が書いてあったりすることもよくあるようにみえる。特に距離100キロ以上で50%オフが消えるのは要注意だ。



 ところで、大多喜通いが始まる2月からは高速代が大幅増である。軽自動車導入も要検討事項だ。

参考資料

 いちいち紹介しないが、読もうと思う本が溜まり始めている。農業関係では「自然農」関連が3冊、農業機械関係が1冊、雑木林・炭焼き2冊、田舎暮らし関連3冊。昨日図書館には2冊返したんだが。ここ数年、読む本というと車・PC関係が多く、ごく最近になって音楽関係が多かったんだが、180度方向転換というところである。

 いろいろ本も増えてきたため、本棚の大掃除をした。いらない本は有無をいわさず処分しないと限られた本棚に余裕もできない。ということで、PC(古くなると役に立たない)、くるま、釣りなど 以前の趣味に関係したものは処分ということになった。

 ただ、創刊の頃からずっととり続けている「カーグラフィック」は捨てるわけにいかず、いまだに定期的に増え続けているから、幅3m、高さ=天井までのスティール本棚の7割はCGに占領されている。

竹藪退治

 当面の作業(里山編)でもちょっと触れたが、竹は結構厄介者のようだ。タケノコ嫌いの私は知らなかったが、大多喜町というとタケノコの名産地らしい。しかし、昔はそのために作った竹藪も、面倒をみないとはびこって大変なことになる。当家の渓谷沿いのの竹藪もそんな感じだ。1974年頃の航空写真で見ると、特徴的な丸い形状の集まった竹林がまだ存在しなかったことが見て取れる。

 ということから、竹藪を退治するHPをいろいろ探してみたが、これも危ないから気をつけろの大合唱。素人は脅かされるばかりである。ただ、竹用ののこぎりが便利らしいことは判明した。あんなツルツルしたものをエンジンのチェーンソーで切るのは、やらなくても怖かったんだ。傘を差して歩けるくらいの間隔、上を見上げると青空が見える位の密度、相当がんばる必要がある。
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井戸水

 大多喜町会所というエリアは、人家もまばらでインフラ的には決して十分ではない。携帯が全滅ということはどこかに書いたが、当然上下水も全くない。井戸に頼ることになる。カミサンは、契約がすんだあとで「井戸だなんて知らなかった」と絶句していたが、それまで房総地区で検討していた物件のうち3分の1くらいは井戸しかなかったことに気付いていなかったようだ。

 売り主さんに確認したら井戸は50m位の深さだといっていたが、いくら何でもそんなに深くはないんじゃないかと思うが、もしかしたらうまい水かもしれない。まあ、まず最初に水質検査はやってみようと思う。保健所などでもやってくれるらしいが、簡単に自分でできるキットがインターネット経由で売られており、これでやってみるつもりだ。

 また、使っていない井戸がもう一本あり、田んぼをやるときには川の水をくみ上げたりもするようだから、水についてはいろいろ研究の余地があるらしい。

房総の地名

 房総エリアを走っていると、読みにくい地名にしばしば行き当たる。夷隅郡の夷隅も難しいと思うし、匝瑳市も知らなければ読めないような字である。それにどちらも普段使うような文字ではなく、漢字の意味も想像できない。不思議である。



下の地名は、夷隅郡大多喜町の難読地名だが、新しい住処の会所も含まれている。

宇筒原、小土呂、面白、会所、紙敷、葛藤、猿稲、田丁、総元、部田、百鉾、弥喜用、八声



ちなみに、読みは次の通り。

(うとうばら)(おどろ)(おもじろ)(かいしょ)(かみしき)(くずふじ)(さるいね)(たまち)(ふさもと)(へた)(もふく)(やきよ)(やこえ)



千葉情報館 というサイトからいただきました。

当面の作業(里山編)

 これの前にまとめた農業関係の作業予定はちょっと手抜きにしているが、それは山に手間がかかると考えているからだ。実は、一度だけ敷地内に入ったときも、山や谷のエリアはあまりじっくり見ていない。ただ、樹木も竹も多くて暗いという感じのみ残っている。このエリアの一部を農地(果樹園)にしようという思惑もあるが、山蛭防御の観点からも比較的すぐに(5月のGW頃までに)明るく風通しのよい環境にして、人工的な里山に近づけたいと思っているので、早速草払いや伐採をやるつもりだ。

 ただ、エンジンの刈払い機やチェーンソーなどを素人が簡単に取り扱えるのかという疑問は厳然として存在する。エンジンチェーンソーを、足元の悪い斜面で操り、樹木を切り倒すなどというのは、眠っていてうなされるんじゃないかと思うくらい心配なことである。

 そのあたりを無事通過しても、樹木や竹は炭にするし、落ち葉は堆肥にするという後工程が控えている。ということで、当面のヤマは山造りといってよいだろう。

当面の作業(農)

 福岡正信さんの自然農法を読んだ結果、毎年の循環の初めは10月ごろの緑肥(クローバー等)、麦、稲の種まきを順次行うところと受け止めている。今回は2月から入ることになり、これまでの畑の経歴も不明という状況から、とりあえずクローバーの種まきから始めて稲モミをまく形で入る予定だが、その前に耕運すべきかどうかが悩ましい。耕運機が動くのかどうかも未確認ということもあるが、土もなるべく自然のままでやってみようと思うから、そのままやろうと考えている。だが、果たして草はどのくらいはびこるかが見えない。秋からクローバーを蒔けば雑草は多少抑えられるんだろうけれど。

 穀類を考えている畑Cと畑Dについてはそんな感じで始めることになる。普通の野菜と落花生を一年交代で栽培していく畑Aと畑Bは、耕運機を入れて畝たてくらいまでは機械でやろうと思う。その前に機械整備が必要だが、内燃機関としてはずいぶんとシンプルなはずだ、焼き玉エンジンとはいわないが。セブンで色々やったから大丈夫というのは甘いだろうか。

土地の様子を調べる

 今回は遠隔地ということもあり、一回みただけで購入を決めた。建物については図面と写真があるのである程度は想像がつくが、3000坪を超える敷地ということになると、なかなか実態は判りづらい。特に山のエリアは植生の様子や傾斜など、ほとんど把握できていないのが実態だ。

 ただ、インターネットで公開されている航空写真が役に立った。現在の写真は、Google提供のものとGoo提供のNTT-MEの2種類があり、2つを見比べることでかなりの情報を把握することができた。また、1974年当時の航空写真も国が提供するものを入手することができ、現在の畑の状態ではなく、当時の田圃の様子が判明した。また、日が傾きかけた時間帯の写真だったから、分割された田圃のレベルもある程度は掴むことができた。

 契約直前の週末に現地を訪ね、敷地内には入らなかったけれど、土地のレベルや傾斜の確認ができ、色々な計画のヒントにはなるような気がする。ただ、2月からの色々錯綜する作業工程の中で、田圃を整備することはなかなか難しそうだ。川から水を揚げる仕組みも間に合うかどうかというところだし、初年度の米は陸稲になるかもしれない。

害獣・害虫編

 どこかにちょっと書いたはずだが、この大多喜町会所のあたりは山蛭の名所でもあるらしい。そこからちょっと先は紫陽花で有名な麻綿原高原につながっていくのだが、そちらの案内にも半分名物のように触れられている。まあ、ちょっと気にはなったが物件の魅力がその懸念を上回り、購入してしまったわけだ。

 この動物はご承知のように大型動物に吸い付いて血液を吸い出す。人間も餌食にはなるが、どうやら鹿の生息地域とかなり重なっているようである。足にくっついて血液を吸うと、ぽとりと落ちて卵を産むという習性らしいから、鹿のフンを観測した当家の畑にも蛭はいるに違いない。西側を流れる養老渓谷源流にはハヤなどの魚が結構いるらしいが、そんなものを獲りに行くとこちらが餌食になってしまうという危険もある。

 という具合で、彼等が動き出す5月頃までが予防期間である。天敵はないそうだから、こちらが天敵的に活動するしか方法はない。とりあえず検討しているのは、山の草を刈り落ち葉を集めて、樹木と竹を少し払い、おそらく大勢で冬越しをしているはずの山のエリアに光と風が届くようにしようということくらい。落ち葉などには殺虫剤をかけたいところだが、無農薬で行こうというのにそれはないだろう。周りに塩をまいて連中が外に出ないようにすることくらいだろうか。

ちょっとしたシミュレーション

 今後の拠点となるのは大多喜町会所というところ。大多喜町の中でももっとも外れに位置しており、トンネルを越えると鴨川とか勝浦の海沿いエリアとなる。最寄り駅としては外房線の上総興津駅(10.1km)、次いで小湊鐵道養老渓谷駅(13.2km)、久留里線亀山駅(20.0km)となる。一番近い駅でも徒歩2時間以上になるし、過疎地域ということでバスもないから、車に頼るしかない場所である。



 あまり現実的ではないが、勤め先のある赤坂見附に朝の勤務時間帯に到着できるかどうかを調べてみた。



会所(28分/車)上総興津(5:31-7:54 ) 赤坂見附

会所(34分/車)養老渓谷(7:03-9:46 ) 赤坂見附

会所(44分/車)上総亀山(5:08-7:49 ) 赤坂見附



という具合で、5時に飛出せば普通に到着することはわかったが、毎日これではたまらない。帰りはどうなるかというシミュレーションは、とてもじゃないが気が進まずやらなかった。それにしても、養老渓谷ルートは悲惨である。1日9本しかない五井行きの始発がこの時間、仕事場には、午前中の半分をすぎたころにのんびり到着となってしまうわけだ。

このほかに、アクアライン経由のバスなども検討対象にはなると思うが、いずれにしても通常の通勤には無理があることにかわりはないだろう、きっと。

ただ、このくらいの距離になると青春18切符が役に立ってくる。JRが4割引になると思うと、春休み(3/1~4/10)・夏休み(7/20~9/10)だったら、農作業もありそうだし使ってみるのもいいだろう。でも往復6時間だ!!!

落花生について

 今年は市民農園で落花生を作った。5月から10月いっぱいまで畑の一角を占領するから効率はよくないが、手間はかからない。最後は、順番待ちのタマネギに追いかけられるようにどんどん引っこ抜いたのだが、抜いてみるとどうも少し早かったようで、粒は小さめ、空の莢も多かった。しかし、これが実に美味い。米粒の親玉程度の小さなものでも美味い。子供の頃から落花生・南京豆・ピーナッツは好きだったが、最近はそうでもなかったのは、世の中にはびこっている中国産のものの味が落ちているところに原因があるのだろう。



 そんなこともあったから、会所の畑では当然落花生を栽培する。米・麦以外の2割の半分、つまり4アールくらいは落花生の予定。おそらく500株程度、1株あたり400gという勝手な皮算用を当てはめると、200Kgという試算が出てくる。ホントかね。

 ところで、今年の落花生はあっという間になくなったが、その最後の150gで実験をしてみた。莢をむくのにどの程度時間がかかるのかということだ。結果は約45分かかって食べられる豆の重さが半分の75gになった。この割合では2キロの莢付き落花生をまめにするのには5時間かかることになる。200キロできると全部で1000時間。ああ、これはすごい。

 では、機械はないだろうかと探してみた。ちゃんとあるんだね。脱粒機という名前のものだが、これはなんと50万円くらいはするようだ。ということで、知合いに配るときは莢付きのままということになりそうだ。、

シンボルツリー

 敷地の東側にある家屋から西をみると、70~80メートル幅の畑の向こうに山がある。数日前から、この敷地にシンボルツリーを配置するということを計画し始めている。

 山の上には椎の木だというが、かなり古い大きな木があるので、これは残して他の木を少し払う。が、これはシンボルツリーとはちょっと違う気がする。一番良さそうなのは、山の裾つまり畑地の奥に少し大きくなる樹木を配置するということだ。山を背にして一本の木があるというものだが、樹種としてはシラカバジャクモンティーという、比較的温暖な土地でも育ち、若木の時から幹が白いものを考えている。



 日光戦場ヶ原(小田代ヶ原)には「草原の貴婦人」と名付けられた樹があるが、イメージとしてはそれだ。



 山裾には柿の木、斜面には梅、その上には栗を配置し、農地として申請するつもりだが、シンボルツリーとこれらの樹木のバランスが課題になる。あとは現地での検討になりそうだ。

害獣との戦い

 大多喜町会所というこのあたりの田畑は、いずれも柵で囲まれている。私の購入した土地も例外ではない。山の方はどうなっているかまだ不明だが、畑と住まいの周囲はぐるっとネットフェンスが回っている。不動産業者の資料にもちゃんと書いてあるし、その後の調査でも判明しているのだが、このエリアは鹿やイノシシが闊歩するところ、おまけに鹿の居所にはつきものの山蛭もいるらしい。もしかすると猿も登場するかもしれない。というわけで、ここでの農業はそれら害獣との戦いも含まれるのである。

 せっかく時間をかけて作った作物を奴らに盗られたら、それほど悔しいことはないだろうから、この対策も検討しているところだ。防衛策のうちで比較的有効性が高いと思われるのは電気柵だ。ただ、柵の延長は少なく見積もっても400メートル。金額的には10万円+α程度と思われるが、厄介なのは草を払わないと漏電して効果がなくなるという問題がありそうなところ。防草シートも張り巡らすとなると、その手間はかなりになると見られる。

 こんな作業は、山蛭が出てくる5月頃までには終わらせておきたい。というようなことを考えていくと、かなり春頃までは忙しい週末となりそうだ。

里山をつくる

 図書館で「雑木林をつくる」という本を借りた。多摩エリアにある公園を、地元の有志たちが里山に仕立てるというプロセスを書いたものだが、これがかなり興味深い内容だった。

 雑木林というと、落葉広葉樹が自由に生えている林だと思っていたが、これが農家の生活と深く結びついたものであり、エネルギー源や肥料の産出源として重要な役目を負っていたことが初めて理解できた。

 今回の田舎暮らし用地では、最初は広い農地として捉えいろいろ考えていたのだが、この本を読んでからは約半分を占める山にも興味が生まれた。養老渓谷の源流に接する敷地の川沿いの半分が小さな山になっているのだが、その7割くらいは樹木に覆われ、残りが竹林となっている。いずれも手はほとんど入っておらず、2月に乗り込んで最初の仕事は樹木と竹を払って密度を薄くして、明るい林、明るい竹藪にすることになりそうだ。

 その先には、雑木林の里山造りが待っている。さらには、果樹も植えてある部分は農地としての果樹園となるエリアもできてくるはずである。



 ところで、この本の中でも触れられているが、炭作りも面白そうだ。今日図書館で、「炭やき教本」という別の本を借りてきたが、樹木も竹も炭にしようと思っている。実は今回の家には小さいながらも囲炉裏がある。昔の農家の熱源としての炭をつくるところから体験してみることになる。



農地の取得

 宅建をもっているような方はご存じのはずだが、実は一般人は農地を取得できないのである。だから、」今回私も農地部分については仮登記ということになる。それをちゃんと自分のものにするためには、ちゃんとそこに根を生やして農業で生計を立てているということを説明して納得してもらわなければならないというのが、農地法という法律に定められている。農の最初の項で、4反(約4,000㎡)は微妙というようなことを書いたが、それはこの農業についての資格につながっている。

 農業で生計を立てているかどうかは、各市町村に設置されている農業委員会が判断するのだが、その判断の前提条件としては、農地5反以上を所有するか借りており、それを耕作できる場所に住んでいて、しかも営農計画(どのような作物を作り、どういう経路で販売し、農業で収入を上げるかの計画)を提出して妥当だと判断されなければならないらしい。

 もちろん、まだどれもできているわけではないが、4反しかないということは気になっている。まあ、付近の耕作されていないような畑を探して借りたりすることになるのだろう。一つの手段としては、山を切り開いて果樹園にすることも考えているんだが、それは別項で。

農業をどうするか

 今回購入する土地のうち、登記上の農地は4,008㎡、約4反である。航空写真を使って実際の面積をあたってみると4,790㎡になる。(この4反という数字はちょっと微妙なんだがそれは別項で触れることにしよう。)実際の面積は、今まで借りていた市民農園の面積(3区画計45㎡)の100倍以上になる。

 使えるかどうかわからないが、一応納屋の中には農業機械が4台ほど入っていたので、彼らには働いてもらうんだが、それでもこれだけの面積を素人が耕作できるかと考えると、いくら楽天的な私でもさすがに自信がない。それに、後少なくとも3年くらいは仕事を続ける予定なので、基本は週末農業とせざるを得ない。

 そんな制約条件の中でいろいろ勉強するうち、故福岡正信さんの「自然農」法に行き着いた。耕さない・肥料はやらない・農薬もやらないという農法が本当に通用するかどうかはわからないが、収量よりも自然の産物がいいと思うし、本当に仕事と縁が切れる頃までには土も慣れてくるだろうという楽観的な考えから、全体の約8割については、自然農法を忠実に実践しようと考えている。ここで期待するものは米と麦、穀類である。

 残りの2割については、これまでカミサンが市民農園でやっていた延長のいろいろな野菜の栽培ということになる。ジャガイモ・夏野菜・大根カブ類、キャベツはくさいブロッコリなどだな。ただ、輪作の関係で2割位を確保するけれど、そのうち半分くらいは落花生を植えようと考えている。

 さて、一体どのくらい獲れるんだろうか。米の場合、反収10俵(60Kg×10)が目標のようだ。麦はその6割程度(35Kg×10)と考えると、約3反ではそれぞれ1,800キロ、 1,050キロとなるんだが、耕さない・肥料はやらない・農薬もやらないという農法では一体? この結果は2年弱後に明らかになる。

定年帰農スタート・情報収集開始

今まで、趣味は多岐にわたっていた。だいたい2年でピークを終えていた数多い趣味の中には、今回の田舎暮らしや農業に直結するものはなかった。以前からの知り合いの皆さんにとっては想像もつかないほど意外な方向転換ではないかと思うが、まあ定年を契機に40年近くも続けていたサラリーマンとしての社会の関わりとは全く違うことをやってみたい、という気持ちになると、全く当たり前の結論のようにも思える。

ただ、あまりにも流行を追っているような気もするし、それだけに大きな落とし穴に落ちないように気をつけなければと気分を引き締める気持ちもある。

まあ想いはいろいろだが、前に書いたようにこれまでの関心領域とはほとんど重ならない知識が必要になる。今まで、新しい趣味にのめり込むときは本を買いあさるのが常だったが、今回は図書館を使ってみた。大昔に勉強するときに使って以来、ほとんど近づくこともなかった図書館だが、なんだかずいぶん便利になっている。そんなこともいろいろ書いていくことにしよう。



私にとっての田舎

父親の出身地は兵庫県の山間部、小中学校時代の夏休みは姫路からバスで2時間ほど(当時)入った町にほとんど毎年出かけていった。その町に住んでいた少し年上の叔父が毎日田舎での遊びを教えてくれた。それは、夏休みの定番であるセミ取りから始まり、近くの川で泳いだり、夜から朝にかけて仕掛けを沈め、ウナギや川魚を捕ったり、そのメニューは都会育ちの少年にとって実にエキサイティングで飽きないものだった。

今回買うことにした田舎家は、その忠実な縮小版といってもいいだろう。山も川もあるし、当時はあぜ道を通るに留まっていた田畑も自分自身でやるのだから、関わり方は当時とは比べものにはならない。

そういった田舎というものに触れることがなかった子供や孫たちに、そういう体験をさせたいということも今回の底流には流れているんだと思う。

団塊の世代は今!

生まれたときから団塊の世代である、もちろんその頃は団塊の世代という言葉はなかったが、みんな団子のように学校に行き、塊になって遊んでいた。だがしかし、この世代の子供たちは、心のどこかで自分は人とは違うというものを造っていたような気がする。人数は多いんだが、決して同じ人間はいないという感じだね。

ちょっと前から田舎暮らしをしたいという気持ちで動き始めたが、実際に土地を手に入れて踏み切るというのは、おそらくその団塊の世代の特性が後押しをしたに違いない。

色々物件を探していて感じたが、この不景気の絶頂の中でも割安に思える物件、つまり買いたい物件は結構すぐに売れていた。ああ、これは退職金を握りしめた団塊の世代が田舎暮らしの突入する兆しなんだなと思っていたが、ついに自分自身までそうなった。このBLOGは、実はそうした仲間を増やそうという気持ちもあって立ち上げたのである。

前BLOGの一部掲載について

 このBLOGは 2009/02/10 から始めましたが、ちょっと前にGooのBLOGで始めたものをこちらでやりなおしています。以前の内容については一部こちらにアップしてみます。 2009/02/10 以前のタイムスタンプのものがそれらです。写真や画像の再掲載までは手が回らないと思うので文字だけですが、これから現実に片付けていくことを前に考えていた(空想?)といった内容のものもあり、アップした方がよいと考えたものです。
 そのため、内容的には食い違いや間違いもないとはいえませんが、そのあたりはお許し下さい。



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房総で百姓やってる...

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