定年後・田舎作って・コメ野菜

房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。穫れた作物は横浜の家の玄関先で販売、最近では配達もやってお客様に喜ばれている。

2010年10月

新幹線から

新幹線に乗るのも久しぶりだし、N7000は初めてだと思うが、車内では当たり前のようにインターネットに接続できた。荷物の量の関係から、最近特に使い慣れてきた ThinkPad ではなく、VAIO Type-Uを持ってきたから、入力は厳しいが、それでも簡単なBLOG更新くらいはできる。ちょっと残念なのは。新大阪まででそれ以西は使えないことだ。まあしかし、VAIO Type-Uもこういうときには役に立つものである。実は、通勤時に持ち歩いているThinkPad は、やはり重い。キーボードを中心とした使い勝手がいいからがまんしているが、やはり電車では、座っていてもあまり使う気にはなりづらい。やっぱりこのくらいの大きさがいいなあ。

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文章を作って、デジ金の画像を編集して、BLOG更新までさらりとできるんだから、立派なものである。進行した老眼には文字の小ささがかなり厳しいけれど。

BLOGの更新を休みます

 小旅行をしますので、明日から月曜日まで(10/30~11/01)、BLOG更新をお休みする予定です。また、この週末は農業も休みます。会所を2週間もあけるのは、昨年1月末に入植してから初めてのことです。季節外れの台風の影響がちょっと気がかりではあります。

マイカル本牧5番街の復活

 私の住む横浜の本牧エリアは不思議なところだった。横浜の比較的中心部にありながら町の中という雰囲気は比較的希薄で、ちょっと取り残されたようなところがあった。それには理由があったのである。終戦後、広大なエリアを米軍が占領して街を分断しており、それが色々な形で町の発展を妨げていたのだと思われる。それが1980年代になって返還となり、跡地に多くの住宅と中核になる商業ゾーンが建設された。その中心となったのがマイカル本牧だった。
 竣工は1989年だったようだが、本当にろくな店もなかったこの地域の住民にとってマイカル本牧は、まさに天国かあるいは夢のような場所というか、画期的なものであったのは間違いないし、大げさでもない。私のところの子供たちも、今では一人前の大人になってはいるが、何かというとマイカル本牧に遊びに行って帰ってこなかったものだ。年末年始などは、直径10m位はあるんじゃないかと思われる巨大な鍋が広場に持ち出され、それで作った料理が振る舞われたりするのだった。古き良きバブリーな時代だった。今の時代ではちょっと考えられないかも。
 その後、やっぱり不便だったし、その後に出来たみなとみらいに横浜の集客スポットの地位を奪われ、マイカル本牧の凋落が始まった。12番街まであった建物のうち今残っている建物といえば、半分もないほどだ。その中で最もおしゃれだった5番街は何年か前に閉鎖となり、廃墟になりかかっていたのだった。それがいよいよ再オープンというニュースがちょっと前から流れ、付近の人たちはちょっと楽しみにしていたのである。
 先週、いよいよそのオープンの日となり、当家でも母親とカミサンが10時前に出かけていったらしいが、とても入れる状況ではなかったらしく、近所のイトーヨーカ堂(閑散状態)で買い物して帰ったそうだ。でもその代わり、その日の夜に私が帰ってから当然のように出かけていって様子を見たが、建物自体は基本的に元のままだから、見覚えのある雰囲気だったけれど、お店はどうもぴんと来ない。ダイソーや名前を聞いたことのない食品スーパーなど、かなり多くの店は入っているが、なんだか適当に店を集めたという感じ。客を引きつけて売ろうという気概はほとんど感じなかった。毎週火曜日にご近所の奥さん方がうちに集まるのだが、今週はその話題で持ちきり、やはり相当評判が悪かったらしい。ということで、5番街の復活を懐かしむ向きには、早めに一度いっていただくことを薦めたい。
 言い忘れるところだったが、所有者も以前とは変わっており、ベイタウン本牧5番街ということで正確にはマイカルではなくなったらしい。

ボビーに首ったけ

 これは1962年にUSAのヒットチャートに入った曲の名前、コミックの題名ではない。歌手はマーシー・ブレーン (Marcie Blane : 本名 Marcia Blank) といい、アルバムも出ているが、ほとんどこの一発のみで消えていった人。1948年生まれの私は、中学生の頃にこの曲に接する。当時、父親の仕事の関係で徳島にいたのだが、実験放送中だったFMからテープレコーダー(ステレオでもないオープンリールタイプのヤツ、イメージできる人はそういないだろう)に「エアーチェック」して、テープがすり減るほど聴いていた曲だった。比較的最近まで、「オールディーズ」のCDも、この曲が入っていると買っていたほどのお気に入りだった。何度か書いている「iPodの内容整理」でも、重複する曲を1曲のみに絞るという処理をずっとやっているが、この曲だけは例外でステレオバージョンとモノバージョンの他に、トレーシーウルマンという英国の歌手のカバーまで入れている。どんな曲かという説明は割愛するが、何ともホワーンと癒される曲とだけいっておこう。
 
 そんな状況だから、時々思い出して youtube で「Bobby's Girl」を検索してみたりするのだが、肝心の Marcie Blane が実際に歌っている映像はまだ発見できていない。まあ、VIDEOもなかった時代だし、仕方ないのだろう。ただ、こうして youtube をみていると、この曲を愛する人は結構多いらしいこともわかってきていた。その昔、アメリカの音痴のおばさんが「DownTown」を唄った映像が評判になって日本のTVでも流れたことがあったが、この曲にもそういうFANがいるらしく、カバーしたプロの曲に混じって自分で唄ったものの録画もアップされている。そんな中で今回はちょっと不思議なものが見つかった。それは「噂のチューチューBOY(Bobby's Girl)」という題がついた映像で、4人組の普通のお嬢さんが、めいめいの私服で登場し、この曲を歌うのである。声も歌も悪くない、というかこの曲には自然にあったスタイルといっていいだろう。私は以前から、須藤薫さんというこの分野の曲を歌わせたらきっと右に出る人はいないはずの(元)歌手が歌ったらいいのにと思っていたが、この人たちのバージョンもありだと思った。

 それで色々調べてみたところ、このグループはプロであり、エンジェルス(東京天使)という9名のグループだった可能性があることを発見した。中の一人は奥貫薫という名前で今も芸能活動を継続中らしい、私は知らないけれど。前に書いたように youtube で見つけた映像は4人だから同じグループなのかどうかは不確かだが、一応 amazon で エンジェルス(東京天使)の中古CDを見つけて注文してみた。ついでに調べてみると、どうやら伊東ゆかりもEP盤でカバーしていたようだが、中古ショップでつけられていた価格は¥4,800 となっていた。さすがにそこまで広げようとは思わない。ということで、効き始めてから50年、音楽の息は永いものである。

今年のサツマイモについて

 昨年、植え付け面積こそ100㎡程度と少なかったが、比較的好調だったサツマイモを、今年は第2農場まで広がったこともあって、300平米以上植え付けた。去年の好調を引き継いで、最初のうちは順調な生育を続けていたのだが、まず第2農場の方が被害にあった。シカが葉を食い始めたのである。夜間は地主さんの飼い犬2匹が放し飼いとなっていて、敷地外周には海苔網を張ってあるのだが、どちらも効果がなく落花生の葉とともに食害にあってしまった。第2農場の方は復活することもなくこのまま低迷状態が続いてしまった。
 続いては、初夏の頃からイモムシ(蛾の幼虫)がつき始めた。これまで順調だった第1農場の方も大きな被害を受けた。更に夏の高温と日照りが追い打ちをかけた。比較的ましな第1農場の方でさえ、葉の間から土が見えるほどだったし、第2農場は雑草やシソに追い越され、ひっそりと生き延びている感じであった。第1の方は掘る時期の直前になってイノシシが目をつけ、あっという間に出来のいいイモを選んで掘ってしまったからどうにもならない。隣接するサトイモにまで被害が及びそうになったので、慌てて電気柵を巡らせたが、もう遅かったようだ。なるべく置いて太らせようと考えたが、葉が満足にない状態ではままならない。霜の恐れが近づいたので残りも掘ってしまった。
 予定では、控えめにみても500キロほど穫れるとみていたが、実際に収穫できたのはその2割弱。いいやつはイノシシにやられているから大きなイモは少なく、細いものも混じっている。ただ、ここの土はイモ類に向いているようで、ひいき目もあると思うけれどもうまいイモである。
 
 この結果を来年のイモ作りに活かすとすれば、まずは獸害対策だろう。設置していなかった第2農場も、部分的に設置してあった第1農場も、ともに被害に遭っている。護るのはイモだけではないが、来年に向けて装備の充実を図るつもりだ。栽培面ではあまり難しいこともないと思うが、来年はマルチを敷くことにより、初期の雑草対策をしよう。ある程度育てばサツマイモは他の草には負けないはずだ。それと、今年は苗(蔓)を300本程度購入したけれど、今年のイモを残しておいてそれをタネにして自分で作るということに挑戦してみるつもりだ。
 

光ケーブルがやってくる(らしい)

 電話局から11キロ離れた私の農場で、ADSL経由でインターネット接続するのは限界に近い。普通であれば6キロ以上はNTTもだめですというらしいし私もいわれたのだが、過疎ということで電話回線からの分岐数も少なく混乱要因が少ないからだと思うが、何とかつないでいる。何もわからない農業を進める上で、いつでも検索してものを調べられるし、天気の情報もかなり正確に把握できるし本当に役に立つけれど、速度の問題と不安定になることが時々あり、光ケーブルを待ちわびていた。
 ちょっと前に町経由でNTTに要望書を出したりしたはずだが(署名)、町にも総務省からの助成金が下りたらしい。HPでは、来年度から順次となっておりいくらか光が差してきた感じである。そんなことで早くなるかどうかはわからないが、町のHPには「フレッツ光」事前申込書などというものがあったので、さっそく記入してFAX送信しておいた。送信後よく見たら、メールアドレスも掲載されており、添付での送信も出来るようだった。思わずアナログな方法に頼ってしまった。その後さらに調べていたら、町議会の議事録の中に2011年2月末までに町が敷設する幹線の工事は終了するようなことが書かれていた。そうなると案外早い可能性もある。

壊れてしまったTVアンテナ

 もうすぐ地デジが始まるというのに、会所では当然のように地デジは映らない。衛星方式の設備を総務省がつけてくれるらしいが、そんなお知らせが来た途端、もうお役ご免と思ったのだろうか、アナログVHFのアンテナが壊れてしまった。山間部だからアンテナだけでは映らずブースターも使っているから、配線やコネクターの接続を疑ったが、そうではないらしい。脚立を立ててアンテナ本体をみてみたが、素子が2本ほど外れて落下している。そんなことで映らなくなるほどではないと思うのだが、他に原因も見あたらず、アンテナをとりあえず交換するしか策がない。それで、ホームセンターまで見に行ったけれど、今時アナログVHFのアンテナを取り付ける酔狂な人を相手にしていないらしく、地デジ用のUHFは何種類もあるが、求めるものは見あたらない。難視聴地域だからUHFをつけても意味がない。
 ということで、この前の週末はTVのない生活だった、それもいいとは思うけれど。オークションなどで適当なアンテナを探す必要が出てきた。時代遅れだけれど。

写真で見る今年の米作り

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 GWはこんな状態だった。去年は、最初だったし基本は手植えだったから、GWには一部植え始めていたが、今年は田植機を使うことにしていたし、この段階では代掻きなどをやっていた。田植えは5月の中頃だった。2年目だったから、基本的なところは問題ないとわかっていたはずだが、それでも何かと心配。均平作業や沢水関係の整備、あと苗の準備などに追われていた時期だ。
 
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 7月になるとイネもだいぶ育っている。普通の田んぼではビッチリ植えているから水面はあまり見えないようだが、私の田んぼは疎植なので隙間が水路のように見えている。3号は最後までほとんど草が生えなかった。冬の間菜っ葉を植えており、春になってその残渣をすき込んだからだろうか、田植えの直後に撒いた米ぬかがよかったのだろうか。まあ、その両方だろう。画面の左側手前では冬の間にボカシを作っていた。そのあとのイネはかなり立派、冷たい沢水が入ってくる右手前と、すでにずいぶん差がついている。全て左手前のように育っていたら、10俵/反くらいはいったと思う。倒伏はしていなかったが、味がどうだったかは紛れてしまってわからない。
 
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 8月の中頃の写真だから、出穂後1週間が経過した頃だ。7月の写真とは角度が違うが、イネは分けつして広がっているから、水は見えなくなりつつある。この時期になると、草が生えていても中には入りづらい。イネの間を歩くと、根を切っているような感覚を足の裏に感じる。苗の時は、大きく育つか分けつするかと心配し、大きくなると穂が出るかが心配となり、穂が出ると、中に米がちゃんと出来るかを心配する。しかし、米のDNAは大したもんだ。ろくに世話しなくてもちゃんと米を作る。心配しなくても任せておけばいいようだ。
 
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 ようやくイネ刈りの時がきた。元気に育ったのか、それとも籾が少ないのかわからないが、それぞれのイネは倒れることもなくきれいなアーチを作っている。他の田んぼよりちょっと遅めのうちの田んぼで稔りの時期が来ると、他はすでに稲刈りは終わっており、イノシシを警戒する時期に入る。今年は稲刈りの終盤に気配を察し、夜の9時頃から稲刈りを始めたりしたのだが、結果的にこれは正解だったようで、水が引かなくてバインダーを入れられなかった200㎡程度は、その夜にむちゃくちゃに荒らされてしまった。しかし、その程度で済んでよかったかも知れない。ご近所では、もっとひどい被害もあったらしい。ということで、今年のイネ刈りを駆け足で振り返った。いずれの写真も、私の記録写真ではなくカメラマンの甥のものを使わせてもらった。

子供の頃に戻れる場所

 前にも書いたことがあるが、農場の400m位手前に平成13年頃に廃校になった分校(町立老川小学校会所分校)がある。終戦後の開拓時代(昭和22年)に開校となったらしいから、このあたりの2代目以降の人たちはみんなここに通ったのだが、廃校時に壊さずに地域の人たちみんなで使っていこうということになったらしい。そこで、樅の木庵という蕎麦打ち教室兼蕎麦屋ができあがり、地元の有志たちの手で運営されている。週末の二日で農業を何とかやっている我々は、年中昼休みも慌ただしい状態で、残念ながら2回しかいったことがないし、そこのお手伝いも出来ていない。

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 甥っ子の写真を見ていたら、弟たちが行ったときのものがあった。ご覧のように廃校になったときのままになっている。10年近く経っているから、壁に貼ってある絵や作文の作者はもう成人になっているはずだが、代が替わっても新しい担い手になって、続けて欲しいと思う。
 写真をよく見て欲しい。こぢんまりしているし、都会の学校とはちょっと違うかも知れないけれど、新宿区立の真新しい小学校にしょうわ29年に入学した私の場合でも無性に懐かしい気分に包まれた。「ろうかはしずかにあるきましょう」なんて書いてあっても、小走りに走りたくなる。

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 しかし、12月だけなぜ12日ではなく20日なんだろう。間違えたのか、それとも終業式の日にしたのか、わからない。書いた人に聞いてみたいところだ。

背景の変更(2010/10)

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 イネ刈りはとっくに終了しましたが、カメラマンの甥が撮った写真の中から1枚選び、背景に設定してみました。私も写っていますが、他にも登場している生き物がいます。クリックしてご覧ください。偶然なのか、狙ったのかは不明です。そんなところが気に入っているので、今私のPCの背景もこれになっています。
 ところで、バインダーの使い方が逆になっています。こちら側の場合、普通は向こうからこちらに向かってきて稲束を進行方向の右側に落としていくのですが、この田んぼは完全に乾いておらず、特に反対側がぬかるんでいたため、この向きでやりました。刈った束は右に倒れるので、刈る前のイネにもたれかかりますが、特に問題はありませんでした。
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