昨年の暮れで40年以上勤めた会社を辞めたので、2012年は農業に専念した最初の年ということになります。その一年は、テレビに出たり、直売所の拡充があったり、かなり賑やかで充実した年でしたが、なかでも私にとっての大きな変化は、定年帰農者連絡会のスタートでした。
その更に前の2009年に農(業)の世界に飛び込んだわけですが、周囲や見えてくる状況からは「日本の農業の崩壊」という構図が強く感じられました。一人の人間の力では、とてもその流れを変えられはしませんが、なんとかするためのグループを作る種子には定年世代が乗り出すことが現実的だと思いついたのです。私自身について言えば、60年間にわたり食べるものに苦労するなどと言う経験はありませんでしたが、いざ作るということになったときの手間や必要な知見など、その深いことに驚かされましたし、こういうことを体験することになって本当に幸せなことだなあと感じたわけです。年金というセーフティーネットがある定年後の我々が、我々を育て行かしてくれていた田んぼや畑を受け継いでいき、ちゃんとした食糧生産システムの再生を待つ、あるいは作っていく手助けを行うことが一つの使命ではないかと思ったわけです。
そんなことが底流にあって始めた定年帰農者連絡会ですが、2012年1月5日に最初のメンバー登録を行い、現在は22名となりました。メンバーは日本全国におられます。最近様子が聞こえませんが、外国にもいらっしゃいます。比較的千葉県に多いこともあって、千葉エリアでは4回のミーティングをやりましたが、本当はインターネットの特性を活かして地域の壁を乗り越えたいと思っていますが、まだその完全な実現には時間が必要かもしれませんが、きっとうまくいくと思っています。来年もその先も、千葉県大多喜町の田んぼ2反と畑2反で農業を続けますが、一方では定農連の活動やもっと大きなテーマ、日本の食糧生産システムの再構築にまで手を届かせたいと思います。
今年も当BLOGをご愛読いただきありがとうございました。4年も続けていてちょっとマンネリ気味の嫌いもありますが、工夫して改良していきますので、引き続きのご愛顧をお願いいたします。
11月の第4回定農連ミーティングで作った注連縄です
このようなものには興味も縁もなかったので、
ちゃんとした飾り方も解らず、玄関にかけておきました。
ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。
その更に前の2009年に農(業)の世界に飛び込んだわけですが、周囲や見えてくる状況からは「日本の農業の崩壊」という構図が強く感じられました。一人の人間の力では、とてもその流れを変えられはしませんが、なんとかするためのグループを作る種子には定年世代が乗り出すことが現実的だと思いついたのです。私自身について言えば、60年間にわたり食べるものに苦労するなどと言う経験はありませんでしたが、いざ作るということになったときの手間や必要な知見など、その深いことに驚かされましたし、こういうことを体験することになって本当に幸せなことだなあと感じたわけです。年金というセーフティーネットがある定年後の我々が、我々を育て行かしてくれていた田んぼや畑を受け継いでいき、ちゃんとした食糧生産システムの再生を待つ、あるいは作っていく手助けを行うことが一つの使命ではないかと思ったわけです。
そんなことが底流にあって始めた定年帰農者連絡会ですが、2012年1月5日に最初のメンバー登録を行い、現在は22名となりました。メンバーは日本全国におられます。最近様子が聞こえませんが、外国にもいらっしゃいます。比較的千葉県に多いこともあって、千葉エリアでは4回のミーティングをやりましたが、本当はインターネットの特性を活かして地域の壁を乗り越えたいと思っていますが、まだその完全な実現には時間が必要かもしれませんが、きっとうまくいくと思っています。来年もその先も、千葉県大多喜町の田んぼ2反と畑2反で農業を続けますが、一方では定農連の活動やもっと大きなテーマ、日本の食糧生産システムの再構築にまで手を届かせたいと思います。
今年も当BLOGをご愛読いただきありがとうございました。4年も続けていてちょっとマンネリ気味の嫌いもありますが、工夫して改良していきますので、引き続きのご愛顧をお願いいたします。
11月の第4回定農連ミーティングで作った注連縄です
このようなものには興味も縁もなかったので、
ちゃんとした飾り方も解らず、玄関にかけておきました。
ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。