定年後・田舎作って・コメ野菜

定年に到達した2008年末、房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。穫れた作物は横浜の家の玄関先で販売、配達もやっていたが、古希を迎えたこともあり、2019年春に毎週の直売をやめた。不定期の直売と宅配便利用のコメやイモ類の販売に移行している。

くるまたちの四季

くるまたちの四季:2台のフィールダー

 いよいよフィールダーに乗るのはあと1週間、それほど感傷的になるわけじゃないが、大きなトラブルなしに12万キロ弱乗り続けてきたものだから、ずいぶん頑張ったなと思う。衝突防止装置がついていないことが唯一の問題で、他には手放す理由はなにもない。

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 振り返ってみると、トヨタフィールダーに乗っている期間はずいぶん長かった。現在のフィールダーハイブリッドは7年半乗っているが、その前の初代フィールダーは10年以上乗っていたと思う。フィールダーというくるま、ちょっと印象は地味だが、当方のライフスタイルにはよく合致したクルマだった。1台目のころは、横浜本拠地は同じだけれど、週末は三浦半島先端部の海岸沿いの半リゾートマンションで過ごしていたのだが、横浜との往来やホームセンター・スーパーの買物など、少々荷物を積んで行き来するにはステーションワゴンは最適だった。初代フィールダーはかなりよく作り込まれており、故障もほとんどなくやつれもなく最後まで無事に務めを果たしたという感じだった。

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 この初代フィールダーだが、それまでのくるまとは大きな違いがあった。カミさんが選んだのである。私はロードスターやインプレッサに乗っていた期間で、棲み分けができていた時代なんだが、さすがに実用的には文句のない選択だった。
 その後、今の農家生活に転換して走行距離も伸びたため、プリウスαに替えた。ただ、そのあたりから私の車幅感覚が怪しくなり、道が極端に狭い横浜の家の周辺で何度もこすったので、ちょうどアメリカから帰国した娘夫婦に引き取ってもらい、フィールダーハイブリッドに取り替えたのだった。農家兼直売所にはまさにうってつけのくるまで、最盛期にはバナナ箱に入れた野菜満載で横浜に戻ったのだった。燃費は25~30Km/L、荷物は驚くほど積める、小型車規格のコンパクトな車体、ほとんどトラブルフリーで7年半12万キロの大活躍だった。
 昨年、カローラフィールダーはカローラツーリングと名前を変えて、ずいぶんスタイリッシュに変貌を遂げた。しかし、3ナンバー化されたし、イメージも実質本位から大きく変わってしまった。横浜での直売を不定期小規模に絞ったため大きな荷室の必要性もなくなったし、小さくやんちゃなヤリスに変えようと思ったわけだ。もちろんトップクラスの衝突防止装置付き、他の安全装置もてんこ盛りである。これで当分頑張ることにしよう。いつまで運転できるかな。

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くるまたちの四季:街の遊撃手とよばれていたくるま

 大学卒業後、スバル1000スポーツを手放してからトヨタ・スプリンターという凡庸なくるまにしばらく乗っていた。というか、くるまから距離を置く生活が続いていたという感じかもしれない。そのうちカミさんが免許を取り子どもたちが加わると、くるまがだんだん生活の道具となってきた。そのころ買い替えたクルマは、今は乗用車から撤退しているいすゞ製の初代ジェミニだった。カミさんがメインなので、当然ATの全く普通のくるまである。当時のいすゞはGMと関係があったから、同じGM一家であるドイツOPELのカデットというクルマをベースにしたものだった。機械的には平凡なくるまだったが、トラックメーカー製だったから質実剛健な設えだったと言う記憶がある。

0116初代ジェミニ
  これはスポーツバージョンのZZ ツインカム版


 次には、同じメーカーのモデルチェンジ版、2代目ジェミニを購入。このくるまはFFで、コンパクトで良くできたくるまだった。2台続けて乗ったのだから、初代の方も悪くなかったのかもしれないが、あまり記憶には残っていない。それで、このFFジェミニだが、ヨーロッパの街を何台ものこのくるまが走り回るという有名なCMがあった。なかで出てくるのが「街の遊撃手」という言葉。この中のシーンのような運転はしなかったけれど、実際に軽快なくるまだったと思う。
 この頃の私だが、自分用のくるまを持たない時代である。土曜日も休みじゃなかったし、日曜日にファミリーで移動するくらいだったから、あまり不自由ではなかったのだろう。もちろん、もうちょっと速いくるま、スポーティーなくるまに乗りたいという希望はあったようで、この2台のジェミニの次はそのようなタイプに代わるのである。

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  これは2代目、よくできたファミリーカー。街の遊撃手はコレ 

 昔の話だし、大きな特徴はなかったからエピソードはほとんど思い浮かばないが、「街の遊撃手」という名前は強く残っている。いろいろ考えてみると、実は小型で速いくるまが私は好きなのだと思う。いろいろ振れ幅は大きかったが、この次のヤリスは、きっと街の遊撃手の跡継ぎだと思う。実際は、「田舎の遊撃手」かもしれないが。
 そのヤリスだが、今日もセールスマンと連絡とったが、来週になったら振り込みや手続きをやることになった。その次の週の27日の水曜日、横浜にいる私のところにくるまがやってくるということになる見込み。
 


ついでにメイキングも拾ってみました。








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改訂くるまたちの四季 スバルインプレッサ

 20世紀終盤に乗っていたスバル・インプレッサについては、この改訂くるまたちの四季の初期にちょっと書いているが、昔の連載のときにはちょうど現役だったので、振り返る形で書いていたそのシリーズには掲載していなかったものだ。あらためてここにまとめてみることにしよう。

 ロードスターの次にこれを購入したのは1995年の暮れ、納車はちょうど私の誕生日(47歳かな)直前だった。購入の経緯は2010年11月のBLOG記事に書いてあるが、要するに「羊の皮をかぶった狼」に乗りたかったわけだ。このくるまの成り立ちだが、3台目に乗ったスバル1000スポーツの末裔で、4気筒水平対向エンジンが縦置きになっている。動力はドライブシャフトを介して後輪にも伝わっており、常時4輪駆動である。20年の間の進歩進化は顕著で、当時のスバルは国際ラリーにも挑戦しており、私が買ったWRX-RAというモデルは、そのベース車両にするべく、エアコンやパワーウインドウなどもついていない素のままの車両であった(エアコンはあとで付けたが)。エンジンなどの一部部品も特別なものになっていたらしいが、そのあたりはほぼ無関係だった。
 前のロードスターは、ほとんど通勤用に使って相当な距離を稼いだけれど、このくるまに替えてからまもなく現場から本社に戻ることになり、通勤特急生活は終わることになった。しかし、幸か不幸か、ありがたいのかそうじゃないのかよくわからないが、大学の大先輩である関西支店のお偉方から、「本社なんかでくすぶっていないで、こっち来て手伝え」という声がかかってきた。本社の方でも何でもやる係みたいなものだったから、「はい、了解」ということで、月火は東京の本社、水木は関西支店という二股勤務が始まった。移動はもちろんインプレッサで、火曜の夕方関西に向かい、木曜の夕方戻ってくるという結構無茶苦茶なことが始まった。これは1996年9月から翌年2月まで続けていたようだから、その間で3万キロは走ったことになる。この辺の経緯はここにちょっと書いてある。
http://kaisho-farm.blog.jp/archives/1078194368.html
 思ったように振り回せるという定規では、このくるまが今までの最高レベルだったと思う。ただ、「危険なほど速い」と徳大寺さんが言っていたように、それなりの緊張感は必要だったように記憶している。そんなものだから、今更乗りたいとは思わない。まあ、40代だから乗れたんじゃないかな。
 10万キロになった頃、かすかだがミッションから異音が出るようになった。その頃は私も普通の電車通勤に戻っており、必要なときにはカミさん車を使うことにして、オオゴトにならないうちに処分して次に備えることにした。息子もサラリーマンになって自前で何とかできるようになっていたはずだ。いくつか買取店に持ち込んだが、磯子にあったガリバーの女性店長はそれに気づいたのでやめにして、他のところに買い取らせた。ということで、今までで最も早いくるまとの時代は終りを迎えた。
 これは今まで唯一のフルタイム4駆だったが、真冬にスタッドレス履かせて娘が住んでいた松本まででかけたことがあり、雪の積もった山道を上がったりして「これはすごいや」と思ったりしたこともあったな。そんなことを書いているうちに、あの独特のボクサーエンジンの音がよみがえってきた。

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改訂くるまたちの四季 ロードスター(5)暗転と再生

 ロードスターを息子に譲ってから1年半が経過した頃、大きなトラブルが発生した。バックに入れたギアが抜けなくなったというのだ。おそらく22万キロくらいは走っていたはずだから、異動によって通勤使用していなかったインプレッサを息子と共同で使うという案も検討したはずだが、結局主治医のマツダスピードに入れることにしたのだった。もう昔のことだから、詳細はほとんど記憶にないんだが。

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97-05-07 17:49:13 SMRT8001 その後のロードスター

 GW中のある日の夜、外出中の息子から電話が入った。ギアがバックに入ったまま抜けなくなってしまったというものである。いろいろ思い当たるところをチェックさせたが、直る様子もない。結局、息子の仲間が二台で駆けつけ、前後で押し牽きしながら20キロほどの道のりを自宅まで戻ってきた。さっそく眺めてみたが、見て直るような代物ではない。いろいろ考えて勝ちどきから移転したあとは無沙汰を決め込んでいるマツダスピードに入院させることにした。

 バックでしか走れない車を50キロ先の工場に入れるのは容易ではない。3トン積みの積載車をレンタルして、息子が友人と運び込んだ。このあたりは、自動車部員というのは頼もしいところもある。とりあえず、ミッションとクラッチのOH、それからエンジンはチェックしてもらってその結果で考えることにした。

 前々からオイルを喰うと息子がいうエンジンだが、調べてもらったら1気筒は圧縮圧力がない「スカ」の状態だったようだ。エンジンについてはOHするよりも、リビルトという組み直した中古品に交換した方が安いらしいが、それでも25万円以上は掛かってしまう。ミッションなどとあわせれば、何と50万円にも届いてしまうらしい。

 私自身も、平日は殆ど乗らなくなっていることから、処分して私のくるまを息子と共同で乗るとか、いっそ買い換えるということも含めて家で相談したが、結局、これまで頑張ったくるまに敬意を表して、存続路線とした。買い換えるならば、ミゼットIIという絶好のやつもあったのだが。おかげで、私の自分の車の強化クラッチ+強化サス+CPU計画は、しばし延期となってしまった。考えてみれば、ボーナス毎に20〜30万の出費を続けていたわけだが、それをやめていた3回分弱の出費が必要になった。もうそろそろバブリーな生活から訣別しなければと思い始めてから相当時間は過ぎた。


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97-05-16 11:09:22 SMRT8001 再生ロードスター

家族4人が各々くるまを乗り回していると、本当に色々なことがある。昨日は、修理に出していたロードスターができ上がってきた。エンジンを載せ替えたわけだからならし運転期間中であり、3000回転で留めたが、明らかに快調になった。22万キロを走り抜いたエンジンの疲労は並大抵ではなかったのだろう。インプレッサのジェット戦闘機感覚とは明らかに異なる「零戦」を久々に味わった。早く慣らしを終わらせて、思い切りやってみたいもんである。

ミッション内部は、17万キロ時点でOHは済ませていたから、リンケージ関係のみの交換で済んだし、強化クラッチの交換やブレーキマスターシリンダ交換等の重要部分の更新を含め40万円強で済んだが、4台分の税金なども支払う時期だから、精神的には負担である。まあ、工面は私の役目ではないが。彼らが自分で面倒を見る時期を指折り数える今日このごろである。

引用ここまで

 これでロードスター編は終わる。BLOGに息子がコメントしていたが、最後は25万キロ以上走破したらしい。エンジンは載せ替えているが、結構丈夫なくるまだったと言っていいだろう。息子は、このくるまを手放したあと、別のロードスターに乗り換えた。その後、私のインプレッサに乗り換えている。初期ロットの私のロードスターを引っ張り込んでくれた(上の)弟は、自分自身もロードスターを買っていたから、家の家系にいたロードスターは都合3台である。
 オープンスポーツカーというジャンルを復活させ、大きな波を作ったマツダは偉大なメーカーだった。最近はロータリーからスカイアクティブテクノロジーにターゲットを換えているが、ちょっと勢いが薄れている気がしないでもない。現行ロードスターを買うには年を取りすぎているなあ。




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改訂くるまたちの四季 ロードスター(4)推20万キロ

 前回から1年3ヶ月、少し前の92年12月に私のインプレッサが納車となったから、、息子のロードスターと棲み分けができ始めた時期と思われる。前にも少し書いたが、マツダスピード担当者氏とともに悪乗りして、免許取り立てにはかなり乗りにくい仕様となっていたから、息子も苦労していたはずだ。一つはメタルのクラッチディスク、半クラッチが殆どできないという難物。もう一つはLSD、これは峠道で後輪を滑らせてカウンター当てながら走るときなどに役立つが、私もそんな走り方ほとんどしたことなかった。
 くるまの調子を見てほしいというような話から始まっている。文中、ジェット戦闘機と複葉練習機に比較しているところがあるが、なるほどそうだったなと今も感じる。ロードスターはゼロ戦というのがより適当かもしれない。私の関心はすっかりインプレッサに移っており、後半はそれに係る内容となっている。

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96-02-03 15:14:16 SMRT8001 ロードとインプ比較

先日、息子がくるまの調子をみて欲しいという。高回転で乾いたような音がする、というのである。ろくにボンネットも開けず、体育会系自動車部員としては失格だと感じていたが、そうした官能的・感覚的な判断をしようと思うようになったことは進歩である。まあ、現代のくるまはトラブルフリーに近いから、そのような防衛行動はせずとも良いのだが、もうすぐ20万キロに近付くくるまに乗っているとさすがに心配なのだろう。

久しぶりに乗ったロードスターは、また良いものである。マウント類は固めてあるから、エンジンの振動は直接的に伝わる。床までアクセルを踏み込んでも驚くほど遅く、まるでクラッチが滑っているような気がする。が、これも悪くはない。きっとジェット機に乗っていた操縦士が久しぶりに複葉の練習機を操縦したら、こんなものなのではないだろうか。結局、ショックアブソーバーが抜けていて、足元がチョロつく以外は特別の不具合はないと感じた。元気なくるまである。

一方のインプレッサは、ひたすら走り続けている。まだ二カ月前で距離計は8500キロを超えたから、則正しく150キロ/日平均である。ローギアに入れるときに無造作に操作すると、ガリッとくるがそれ以外のハードウェアは完璧である。買う前に、ただ速いだけで面白さに欠けるのではないか、という指摘もあったし、ロードスターにあらためて乗ればそれも的外れではないと感ずる部分も有るが、圧倒的な速さを極めて安全且つ瞬時に実現するという演出は、麻薬のようなものでもう、積極的にロードスターに乗るという気持ちは無くなってしまった。あれだけ気にいって、毎日乗り回していたのに、この変化には自らもとまどいが無くはない。

先日、なかなか面白い仕掛を見つけた。ボンネットには3箇所の吸気口があるのだが、そのうちの二つは孔が
開いていなかった。単なる飾りだと思っていたのだが、その裏打ちの鉄板を簡単に外せることが判ったのである。私のくるまは、ラリーをやる輩などが専ら購入するものだが、彼等の世界では当たり前のように外しているらしい。エンジンの発熱量は常識の範囲を逸脱しているはずだから、信号で停車していたりすると、そのベンチレーターから吹き出す熱気で陽炎が見える。さて、そろそろ二回目のオイル交換をしなければならない。



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改訂くるまたちの四季 ロードスター(3)16万キロ

 ロードスターの3番めは16万キロで書いている。前の記事から20ヶ月経過して6万キロ走ったのだから、3000キロ/月ということになるが、文中ではペースが落ちたと書いてある。どういう計算なんだろう。くるまはまだ健康体だが、それなりに経年変化は起きており、主治医のマツダスピードに持ち込む算段をしている状況。具体的なことは書いていないが、娘や息子が免許を取る時期が近づいており、いろいろ変わりそうな感じ。

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94-11-15 20:06:09 SMRT8001 くるまたちの四季 ロードスター16マンキロ

ちょっとペースが落ちたようだが、とうとう地球を4周分走ってしまった。いままでの最長記録の倍以上だろう、16万キロとは。

ハプニングにより、標準のホイールと標準サイズのタイアに替えてからは、相当に好調である。2サイズオーバータイアを付けていたときの、放置しておいても道のとおりに走るという鷹揚さが無くなったが、引換に軽快感が戻ってきた。昔乗っていたミジェットの「くしゃみをしても横に跳ぶ」ほど
ではないが、ステアリングのダイレクト感が増したのである。やはりこんなくるまは、少し緊張状態に置いて乗るのが正解だろう。

3~5万キロは走れるという妖しげなオイルを使用していることは度々書き込んでいるが、いつ交換したか記憶がなくなっている程だから、そろそろ交換時期が近付いている可能性もあるが、エンジン関係は全く問題はなく好調だ。ただ、ショックアブソーバーが抜けてきたようで、挙動に落ち着きがない。まるで持主に似たかのようである。それと、低速時のスナッチ(ぎくしゃく)が目立ち始めた。エンジンやデフのマウントのゴムが傷んできたのだろう。そろそろ待ち遠しくなったボーナスを、くるまも待つかのようである。今度の課題は、足回り、マウント類とバッテリー、標準サイズに戻したタイアはあと1万キロ程度だから、夏までは持たないだろう。ミッションは、まだ大丈夫。エンジンのOHも、まだ先送りに出来そうだ。と、始終交換・整備をしているようだが、4万キロ/年となると、そんなものです。

それにしても、このくるまは大変なものだと思う。均すと2年毎位に交換していた私を、5年も引き付けてなお、まだまだと思わせる位だから。

いよいよ、娘が免許を取り始めた。仮免に合格したらしい。息子も来年には18歳になるから、こちらも時間の問題だ。以前は、そういう時期になったら「お下がり」にして、何かを買おうと考えていたのだが、これだけくるまと密接な関係になると、そうもいかぬ。娘は、何か買ってくれと言い始めた。3台目だから、軽自動車にしろといってはいるのだが、つまらない見栄もあるようで、中古でいいから普通車がいいという。ワゴンRの4駆を薦めているのだが。あれなら、帰郷したときに交換して乗ってもいいと考えていることを気付かれているのかもしれない。親バカのようだが、親自身が大学時代からくるまとの共同生活だったから、一種、当然のことと考えてしまう。
こうなれば、いっそのこともう一台の色違いのロードスターを揃えてしまうという手もあるのだが、ここまで散らかした今のくるまには、奴等は乗りそうもないから、私の状況には何の変化もないだろう。

引用ここまで

今から4分の1世紀前のことだから、状況はすっかり変わってしまった。親父はハイブリッドでノロノロ走っており、娘はマツダの赤いクジラのようなワゴンに乗り、息子はドイツのSUV。それぞれ方向は違うけれども、くるまはあるのが当たり前というところは共通事項だ。まあ、この「くるまたちの四季」の環境で育てばそうなるのは当然かも知れないなあ。




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改訂くるまたちの四季 ロードスター(2)

 前の記事から2年後である。この間に3.3万キロから10万キロまで走行距離を増やしているが、その間私は勤務先の本社企画部門(参謀本部)から現場(第一線)に異動になっている。当時陸の孤島だった臨海副都心の立ち上がり時期の現場を担当していたので、通勤に使わざるを得ない(クスッ!)ので、月3000キロ以上走っていたらしい。当時は中間管理職だったが、よくまあ上司たちもこんな車での出勤を許していたものだ。直属上司などはよく助手席に乗せていたことがあるが、ずっとあとになってご自身もオープンに乗っていたから、結構気に入っていたに違いない。

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93-04-18 18:46:02 SMRT8001 くるまたちの四季 ロードスター10マンキロ


89年の9月、ロードスターの国内発売と同時に手に入れた私のくるまは、先週の始めに10万キロを走り抜いた。とはいっても、20万キロ程度は走るつもりだから、これでお役御免ではない。

しかし、大したくるまだと最近つくづく思うことがある。大体のところ、この種のくるまはひ弱である。以前乗っていた英国のMGなどは、毎月故障してほとんど月給に近い金額を吸い取っていたし、私が買おうと考えているやはり英国のやつも、修理工場との往復しか走らない、などという悲惨な例もあるらしい。国産車だから当然と言えばそれまでだが、ロードスターは丈夫である。僻地に勤務している私は、会社に届をだして通勤に使っているが、当たり前にこういう使い方が出来る。低く小さいくるまであり乗り心地も堅めだから、さぞかし疲れると思われるかも知れないが、そんなことはない。アクセル・ステアリング・ブレーキの反応は小気味良く、思ったとおりに動くのである。こういうくるまこそ疲れないのです。

スポーツカーと呼ばれる範疇に入るものに乗る場合は、少々ストイックな覚悟が必要であった。冷たい雨の降る暗い道で乏しい懐中電灯の明りを頼りに、針金やガムテープなどを使って応急修理をすることなど当たり前。むしろこういうことがスポーツカー乗りの勲章のようなものであった。26年ほど前からくるまとの生活を重ねている私にとってこれは共感を覚えることだが、ロードスターに乗ってから、多少違う考え方になりつつある。いつでも思い立ったときに乗れて、常にベストコンディションにあるということはやはり重要なことである。もうこうなったら腐るまで乗ってみようという気持ちに傾きつつある。

とはいっても、地球を2周半分走ったのだから、何もないわけではなかった。一度サーモスタットをやられ、高速道路上で立往生したということはあった。それ以外は、ほとんど問題はなかったといっても良い。もっとも、ブレーキパッド・クラッチディスク・タイミングベルト・ショックなど、劣化があり得るものについては、予防的に交換している。今回の整備では2セット目のショックアブソーバー交換を盛り込んだ。今回はかってない大整備でかなり期待をしていたのだが、やはりオープンカーの宿命でボディ全体の剛性低下は隠すことが出来ず、足廻りがしっかりした分目立つようになってしまったところもある。が、これも毎日100キロ平均を走破するという極めて厳しい目でみればの話で、基本的には思ったとおりの挙動が可能な足になった。だが、次はいよいよロールバーの出番のようである。

買ったときは、次のくるままでのつなぎというような気持ちもあった。だが、乗れば乗るほど次のくるまに替えるという気持ちが薄れてきつつある。聞くところによれば、昨年末までに25万台ほど生産したそうだし、たしかに街の情景の中で、どこにでもいるのが当たり前という感じになってきた。欲しいと思っている方はいらっしゃいませんか。確かに二人しか乗れず、荷物も積めない。だが、それが現実に制約となることは結構少ないものです。このくるまがいつまで生産されるかは判らないが、おそらくこれより実用的にも優れたスポーツカーは世の中には現れないといっても良いと思う。是非購入されることをお勧めします。


引用ここまで

 今後の引用記事に出てくるかもしれないが、マツダスピードというマツダのレース担当部門が臨海副都心から近い月島にあったので、ボーナスもらうとそこに持ち込んで、何分の1かをつぎ込むということになっていた。いつもの時代もくるまとは近い生活を送っていたが、考えてみると一番身近だった時期はどうやらこの頃だったようだ。
 10万キロ乗ると、そろそろ乗り換えを考えるものだが、当時の私にはまだまだそのつもりもないようだ。いろいろ乗ったけれど、気楽に乗れるスポーツカーと言えば、やはりこれだったなあ。
                これにはまだ続きがあります。



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改訂:くるまたちの四季 ロードスター

 矢継ぎ早だが、このくるまに触れないわけにはいかない。親子で骨までしゃぶったくるまだ。総走行距離は22万キロくらいじゃなかったかと思う、最後の方は免許取り立ての息子がほぼ乗りつぶした。

また、昔のやつの引用だけれど、何度も登場するので一つずつアップしていく予定だ。

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91-05-11 23:37:30 SMRT8001 くるまたちの四季 ロードスター ソノ1
 ネタ切れではないが、現役が登場してしまった。なんといっても、こういう天気の日に走り回ると、あらためて「いいなぁ」と思ってしまうもんですから。

 どこかケチをつけるところはあるだろうか?これは難しい問題だ。強いていえば、ちょっとボディがグラマー過ぎることだろうか。まるく膨らんだ形は愛敬があっていいのだが、幅が10センチ長さが20センチ程縮まればいうことはない。段が付いていて、ヒール&トウが出来なかったアクセルは、オートテックで買った板を継ぎ足してぴったりだったし、暖まるまでツルツルで何度かサーカスを演じる羽目に陥ったタイヤも、P600に替えてからは落ち着いた。そうだ、シートが布である点はマイナスかもしれない。特に釣り用に使う私は、帰りにどろどろのGパンで乗るときちょっと気になる。

 こういう季節だから、今発売されているCAR&DRIVERではオープンカーの特集を載せている。たしかにオープンというのは、それだけで大変な価値はある。しかし、ロードスターの良さは全てが「自然」なところだろう。アクセルを踏めば踏むだけ走り、ステアリングを切ればちゃんと曲がる。120HPという控え目なエンジンのお蔭で持て余すこともなく、忠実にこちらのコントロールに応えてくれる。だからほとんどストレスがない。先日のスマコンのときは、大阪まで一気に走ったが、全く疲れなかったのには驚いた。

 こんなくるまだから、帰宅してから疲れを吹き飛ばすために乗るときもある。ずいぶん昔に書込んだことがある「外人遊歩道路」と「本牧埠頭」が定番のコース。一回りすると頭が空っぽになり、心も穏やかになるというわけである。酒を飲むとこんな効果があるのだろうかと、飲まない私は思ってしまう。

 最初にこのくるまのことを耳打ちされたのは、三年ほど前のことだった。そのころは、イタリアのおテンバ娘と別れた後で、奥方のジェミニを借りて乗る不自由な時期だったから、おおいに心が動いた。耳打ちされたと同時に「欲しい」と叫んだ程だった。こころのなかには理想とするくるまがあったし、今もそれは変わらないのだが、マツダの開発者が大体私と同世代らしいこと、それよりもなによりも、こういうくるまを売り出すというメーカーの心意気が特に気に入った。
 そのうちに、当時は隔月刊だったスクープ紙「X」等に、予想イラストが出始め、翌年になって、シカゴかどこかで開催されたモーターショーで発表される。国内発売は夏ごろということだった。実物と最初にであったのはいつだっただろうか。7月に北米に出張にいったとき、カリフォルニアの青い空の下で何台かのピカピカの新車を見かけた時か、あるいは、青山のどこかのビルに展示されたのをみたときだったろうか。まあ、とにかく見る度にうれしく待ち遠しかった。プラモデルなんていうものも発売されたから、さっそく作ってみた。頼んでおいたコネ(弟が仕事で東洋工業担当)は結構強力で、第一次出荷分の中から私のロードスターがとどくことになった。

 それから1年半とちょっと、今日距離計は33333を超えた。もうすぐホンダのビートが発売となる。軽くて思うようになるくるまが好きだから、少し心は動くが、買い換えるほどでもないし、もう一台というわけにもいかない。まだ当分の間、ロードスターは私のスニーカーとして働き続けるだろう。運転の腕を磨くのには適当のようだから、2年後に娘、4年後に息子が免許をとった頃に彼らにさげてやり、私は以前から狙っている例のやつに乗ることになる。こういう脳天気なことを考えていると、年をとるのを忘れてしまうようである。

引用ここまで

 ズバッと投げ込んできたストレートを真芯で捉えてクリーンヒットを打ったようなくるまだったなあ、と今振り返って思う。つい最近、もう一度手に入れて自分で直したりいじったりしながら老後を楽しもうと思ったら、なんと程度の良い中古は200万を超えるみたいだ。気づくのが遅かった感がある。HONDA N360の項で、フルスロットル・フルブレーキで走ると運転がうまくなる的なことを書いたが、実はこれもそのたぐいだった。120HPと控えめな馬力だから、振り回してもそこそこ安全だ。しかし、俺のお下がりに乗った免許取り立ての息子は苦労したかもしれない。引き渡すときは、レース用クラッチとノンスリップデフ付きだったからな。

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改訂くるまたちの四季 HONDA N360

 すでに書いたスバルサンバー(中古)に1年ほど乗ったあとに乗り換えたのはこの車だった。スバル360だけでなく、いろいろな軽自動車が出ていたが、いずれも我慢を強いられるものといってもいいだろう。車重は軽かったものの、なにしろ20HP程度の馬力だし、坂道では全く元気はないし、1.3m×3.0mだから大人4人にはきついものだった。そんな中で、本田宗一郎さんが送り出した軽自動車がこれだった。これも昔書いたものを紹介してみよう。

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91-05-09 23:19:15 SMRT8001 くるまたちの四季 (HONDA N360)

HONDA N360
まだこのくるまのことを書いていなかったのは、この前のサンバー編のときに気付いた。ちょっと驚いた。これも忘れられないくるまだったから。(これは当時のシリーズ物の5番目だった、著者注記)

大きさ・排気量は軽規格、しかし馬力が31HPだった(他の軽自動車の5割増し)。最高速度は、一応115KM/Hとなっていた。普通のくるまに混じって、文字通り小さくなっていた軽自動車の中でひときわ光輝いて見えた。しかも価格は31.5万円と格安。HONDAがS600やT360に続き、本格的に四輪車に乗り出す狼煙のようなくるまだった。当然、発表直後から予約は殺到。我々もその中に入っていた。

納車直後の記憶はなくなったが、3日で1000キロ点検、2週間で3000キロの点検という具合で、サービス工場もびっくりというペースだったから、狂喜乱舞だったのだろう。朝暗いうちから起き出して、母親と兄弟3人で伊豆を一周、400キロくらい走って帰ってくるというようなことはしょっちゅうだった。なんという家族だろうか。1年半で5万キロほど走り、次のスバル1000SSに替えるまでの間、そんなペースで走った。車上生活ともいえる学生時代の前半を過ごしたくるまで思い出は多い。

一度、くるま荒らしにあい、フロントシートとタコメータをとられたりしたので、それからは一人前にバケットシートをつけて走り回っていた。オートバイのものをベースにしたエンジンは、くるまらしい音は発しなかったが掛値なしに9000RPMまで回り、各速のMAXは30,50,80KM/Hくらい、最高速は120キロのメータを軽く振り切った。今まででたった一度の事故を経験したのもこのくるま。450CCと、このくるまのエンジンより大きいバイクと交差点でぶつかった。へこんだフェンダーは、自分で叩きだし、パテ塗りでごまかした。

遠距離も走ったことがある。兵庫の親戚を訪ねて行ったことがあった。まだ名神高速の一部しか開通していなかったころのはずだから、徹夜で10数時間かけて東海道を往復した。伊豆のどこかのトンネルで、中が未舗装のところがあり、調子にのって飛び込んで強かに腹を打ち、割れたマフラーから爆音をたてながら帰ったこともあった。そういえば、まだ寂しかった鎌倉の朝比奈切り通しで、みてしまったのもこのくるまでだったはずだ。なにをみてしまったかは、どこかにかいたなぁ。

考えてみると、このくるまに乗っているときは、いつもフルスロットルだった。性能としては、現代のくるまに比べれば見劣りがするのだろうが、免許をとって最初の頃に乗るものとしては、極めて適当なものだったろう。目一杯の能力を引き出して走るのは気持ちのいいものだし、それが適当なレベルに留まっていれば、きっと運転もうまくなるはずだから。

このN360は、実はもう一台登場する。一台目のN3を手放してスバル1000SSに替えた後、ずっとペーパードライバーだった母親が運転するといいだし、N3のオートマチック(LとDの2速)を買い足したのである。これについては、悲劇的に遅かったこと位しか記憶は残っていない。

引用終了

半年ほど放置したせいか不調だったスバル・サンバーから乗り換えたもので、我々兄弟にとっては実質最初のくるまだった。何度かの規格拡大を経て、すっかり立派になった今の軽とは比べ物にならないが、それでも普通に大人4名が乗れて普通に走り止まった。なんでもどこでも走っていくというこれまでの車との関係を作ったものと言っていいだろう。文中にも書いたが、いつもアクセルかブレーキを一杯一杯踏んで走るというのは、運転に慣れるのには最良の方法の一つかもしれないと考えている。ただ、能力の限界が低めでないとかえって危険になってしまうが、31HPというのは実に良い加減のものだったとおもう。
エンジンは、ホンダ・ドリームCB450という当時の最高級の大型バイクのものをスケールダウンしたもの、4段のミッションも通常の自動車のものとは全く異なる感じだった。まあ、オートバイ的4輪車といってもいいだろう。タイヤはミニと同じ10インチ、ミシュラン履かせたが、このサイズは普通のパターンだったから、ホンダSFに持ち込んだときには「タイヤを裏返しにした車」と言われていた。当時はホワイトリボンタイヤが普通だったのである、もちろんラジアルじゃないやつ。わずか1年半の付き合いだったけれど、車で走り回る快感を教えてくれたのはこいつだった。

0101N360−1




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くるまたちの四季(軽トラ編)

 くるまの話題はこのBLOGでは多めだが、軽トラはちょっとした盲点になっていたかもしれない。この前、最初に乗ったくるま初代「スバル・サンバー」のことを書いた。そのときに現代の軽トラは実によくできていると感じたのだが、ここではほとんど書いたことがなかったことに気づいた。軽トラとの付き合い始めは2020年の2月頃、それから約10年が経過しており、2年と少し前からもう一台加わっている。しかし、話題にするのは「えすかる号」の台車としてがせいぜい、縁の下の力持ちみたいな扱いだった。なので、ちょっとこれらについて書いてみることにした。

1218キャリイ

 1台目のスズキ・キャリイ(先代)は、今はもうなくなってしまったセミキャブオーバー型のものだ。今の軽トラはすべて、シートの下にエンジンやタイヤがあるフルキャブタイプである。安全から言えば、最前部に押しやられたタイヤがあるセミキャブが有利なはずだが、キャビンが狭かったり回転半径が大きいなどのデメリットがあり、スズキも含め全てがフルキャブになってしまったのである。カミさん(AT専門)も使えるようにと3速ATにしたが、80Kmあたりまでは加速もいいし、足元も結構しっかりしている。着座位置は高いのだが、空荷なら重心も低いので安定しているのだろう。フレームだけにしてかんたんなボディをつければ、(スーパー7のように)おもしろい車になるのではないか、と思ったりする。

1218ハイゼットとキャリイ

 もう1台のダイハツハイゼットはフルキャブタイプだが、その違いだけでなく味付け自体が異なっている感じがする。スペース的にはちょっと余裕があり、乗り心地がかなりいい。だが、スポーティーとはちょっと方向が違うようだ。キャリイは、最低限のスペースで乗り心地は悪いが、意外にスポーティーに走れる。スポーティーカーにはいろいろ乗ったが、それらに似通った感じがある。ハイゼットには、こういう感覚はない。
 まあ、ハイゼットはえすかる号の台車が本来の役目なので、余裕と乗り心地は大いにプラスである。ちょっと問題となっている高速でのふらつき(トラックに抜かれるとき)を足回りの交換でなんとか改善させれば、それでいいと考えている。ただ、今はコロナ禍で出番がないえすかる号を担いでいるから、横浜でおとなしくしているしかない。キャリイの方は、ちょっとしっかりしたタイヤでも付けて、田舎を飛び回るくるまとして使うのがいいかな。それにしても、荷物があるときは軽トラほど頼りになる存在はない。田舎での百姓ぐらしには必需品である。

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改訂くるまたちの四季、最初はサンバー

 時間を巻き戻して、最初のくるまに戻ることにした。また、例によって昔書いたものの引用から始めよう。

91-05-07 23:46:58 SMRT8001 くるまたちの四季(スバル・サンバー編)
 最初に乗ったくるまは、これだった。大学入試が終り、あとは発表を待つだけとなった頃、さっそく上野辺りの中古車屋めぐりを始めた。欲しくなると待たずに買うのが私の生き方、免許をとるよりも早くくるまが手に入った。このパターンは、十数年後の自動二輪とバイクのときにも繰り返されるのである。当時の裕福ではない学生のクルマの中では、スバル360というてんとうむしのような形のくるまが幅をきかせていたが、サンバーというのは360のボディを四角い箱にしたものだった。仕出し屋等が好んで使っていたものである。色も薄いブルーとグレーの混じった色のみ。これ以上安っぽい色はないものだった。

1217Sambar1st
  最後にリンクを貼ったサンバーのサイトから勝手に頂いた写真、すみません

 順調に行けば、1カ月強で免許が手に入り、この初めてのくるまを乗り回すはずだったのだが、そうは問屋がおろさなかった。私は、教習所との相性が悪く、最初のところは3時間、二番目のところも10時間くらいで喧嘩をしてさよならするはめになった。考えてみるに、仲の良い友人達は軽免許(当時は16歳でとれた)を持っていて、私は隣でシミュレーションを常にやっていたから、「こいつは相当無免でやっている生意気な若僧だ」と思われたようだ。実際には、無免許はやっていなかったのだが。結局、免許は二俣川の試験場に行って実地試験を受け、とることになるのだが、半年も延びてしまったのである。かわいそうだったのは、このくるまであった。持主は運転できないから、友人に頼んで、まだ空き地だった家の敷地に運んでもらい、草に囲まれて過ごすことになった。しかし、晴れの桧舞台は夏休みにやってきた。高校時代の友人達と西伊豆にキャンプに出かけることになったのである。テントからギターから鍋や諸々を満載し、スバル・サンバーは華麗にはばたいた。横っぱらには、誰かがテープで「Let's Go Camping」などと文字を書き、伊豆まで出かけて行った。メン バーは5人、確か最初は2人だけ乗り、伊東で待ち合わせた。そこからは、むちゃな話だが、5人と荷物満載で、まだ舗装道路も少ない西伊豆へと出発した。1.3×3.0Mの旧軽規格である。5人の中には骨太1名と肉太1名も混じっていたのだから、大したスペースユーティリティであった。途中、狭い砂利道の登りで、無謀にも追越しをかけ、ぶつけてしまうという事故もあったのだが、何とか雲見や松崎辺りの海岸で何日間かのキャンプを終えた。

 さて、免許。実際に私の手元に届いたのは、このキャンプから更に1カ月後。360CC 2サイクル 20HP 前進3段 ローはシンクロなしこういう原始的なくるまだったが、始めてのものだから、感動は大きかった。自転車でしか走れなかった近所の道が、全く違う世界のように思えたのだった。ほぼ同時期に、軽免許を弟がとった。二人で乗り回すが、どうも調子が悪い。半年ほどのブランクは、くるまにとっては辛かったのだろう。2サイクルの軽の中古では、別段特異なことではなかったかも知れないが、第三京浜などでは、必ずオーバーヒートし、途中で止めてエンジンを冷やすこともしょっちゅうだった。燃料計などはなく、蓋についた長い棒の濡れ具合で判断するという原始的な仕掛であったから、ガス欠もあったはずだった。免許が届き、だましだまし乗り始めると、すぐに衝撃的なくるまの出現となる。ホンダがだしたスーパーミニであった。当然すぐに注文したが、納車までは一月以上待たされたから、その間もサンバーは健気に働いた。最後には、助手席のドアが走行中に突然開いて電柱にぶつかり、紐で縛り付けられるという悲惨な姿となり役目を終えることになる。

 軽自動車というのは、これまでに2回拡大されている。もしかしたら、もっとも初期の頃に、もう一回拡大されていたかも知れないが。このサンバーの頃の規格は、前記のとおり 1.3×3.0メートル 排気量は360CC、よくもまあ、こんなくるまに乗っていたねと思うほどのサイズであった。しかし、この頃から始まった我が国における「モータリゼーション」の波を受け止めたのは、これらの軽自動車の存在であったことはまちがいない。
 
============================================
引用ここまで

 以上が、当時書いたものだった。期間(何年)については現時点に変更したが、あとはそのまま。全てはここから始まったというところだが、くるまのことを思い出してみると、最低限の装備で最大の効用を追求したものだった。車輪は四隅に追いやられていて、1.3m✕3mはすべて車室である。ただ、リアドライブだから最後部はエンジンが入った箱があり、それはちょうど椅子のような感じになっていた。もとの文中に5人と荷物を満載にして走ったことが書いてあるが、法律さえ許せば(軽は4人MAX)6人乗りは無理のないことだった。
 それにしても。よく止った。オーバーヒートと書いてあるが、今思い起こすと燃料系のベーパーロックではなかったかと思う。第三京浜や首都高速などで連続運転するとたいてい発生した。2サイクルだったが、さすがに混合ガソリン使用ではなかったと思う。ただ、初期型はもしかしたらチェーンソーのようにオイルを混合して入れるようになっていたかもしれない。最初にこんな車に乗ったものだから、どんな車でもびっくりしないようになってしまった。しかしまあ、詳細は覚えていないけれど、最初に乗ったくるまだからどんなことでも楽しかったに違いない。
 このところ、スバルに話題が傾いている感もあるが、なかなか興味深いホームページを見つけてしまった。

スバル360ができるまでの経緯をまとめたものだが、力作である。私はカーグラフィックの特集記事でスバル360のものを読んだことがあるが、それよりもっと詳細かもしれない。「文責:スバルショップ三河安城和泉店 営業:余語」とあるが、もしかしたらスバルを売っている営業マンさんなのかもしれない。それにしても素晴らしい。他にもスバルにまつわる話だけでなく、いろいろな内容の記事を書いておられるようだ。もう、勝手にリンク貼らしてもらうことにしよう。

スバル・サンバーを紹介するサイト


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改訂くるまたちの四季 スバル1000スポーツ

 前の記事で、MG Midget MKⅠ が、私のくるま人生の一つの出発点というような話をしたのだが、もう一つの原点の話をしよう。それは、スバル1000スポーツというくるまだ。富士重工という会社は、戦時中の中島飛行機を原点としており、もともと技術が先行した会社である。初期の4輪車では、スバル360という名車を作っていた。これを開発した中心人物は百瀬晋六さんという方で、実用化不可能と思われていた軽自動車が、立派に国民車たりうることを証明した、いわば日本の自動車の父と言ってもいい人だった。その方がその後に開発したくるまがスバル1000だった。そのスポーツバージョンが今回とりあげるくるまである。
 これは、30年前に書いた文章をまず引用する。
 
くるまたちの四季 その3スバル1000スポーツ
20年以上前、勤務先のパソコンネットに掲載した雑文を発見した。時は移り、内容については現状と食い違うところもあるが、そのままここに転載することにした。
    
    (それを再掲載することになる)

89-11-07 00:23:30 SMRT8001 くるまたちの四季 スバル1000SS編

 いま思い出してみると、22年間に乗った12台のくるまたちは、それぞれが自分の主張を持っていて、みんな懐かしい存在である。どれが一番よかったとか、面白かったとか、そういう順位など、なかなか付け難い。しかし、もっともくるまと近しくした時期である大学時代の後半を、それこそくるまとの同棲時代のような形で過ごしたこのくるまの記憶は、一種特別なものである。

 これの前に乗っていたホンダN360が、1年半ほどで5万キロを走り、くたびれが目立ちはじめた頃、都立大の駅のそばの中古車屋で、まだ5000キロしか走っていないこの車を見つけた。当時の大学生の車の、スポーティ車の領域でのトップブランドといえば510のころのSSSで、最初はこれを探していたのだが、比較するうちに極めてインテリジェントが感じられたこのくるまに惹かれはじめ、ついに購入を決めてしまった。

 いまよりもずっと”飛行機屋”としてのプライドとセンスが窺えた、当時の富士重工の作品である。なぜいまの富士重工が、あの頃の先進性を失ってしまったのか不思議であり、残念でならないが、OHVであるにもかかわらず7500rpmあたりまでまわるエンジンといい、室内やトランクなどの広さといい、やはり当時としては革新的であったと今でも思う。独特の排気音を撒き散らして、ところせましと走り回ったことが懐かしい。

 前に乗っていたN360のバイクベースのエンジンよりもずっと回転の感覚はよかった。水平対抗エンジンゆえのバランスの良さもあるのだろうが、フライホイールの質量を感じさせない吹け上がりと回転落ちの早さが心地よいものであった。大学時代の後半2年間は、このくるまで3000キロ/月のペースで走り回った。

 4年になったときの春休み、突然思い立って二人の友人に電話をかけた。その日の夕方、おなじスバル1000SSに乗る友人がやってきて、私のスバルに同乗し、もう一人の友人の家に迎えに行く。その夜から、今考えてみるとむちゃくちゃな数日間が始まったのである。
 まず、甲州街道から上高地に行き、そこで朝を迎えた。ここから高山への道は不通。日本海側に抜け、能登半島の根元の羽咋で旅館に宿泊。翌日は、能登半島を一周。福井から白川に抜け、高山に到着。ここで夜明け。続いて名古屋から奈良、熊野から紀伊半島を半周し、六甲に登る。明石に下りた頃夜明け、姫路から鳥取に抜け、日本海沿いに京都府まで行き、琵琶湖に沿って名古屋を通りトヨタ市へ、ここで久しぶりの宿泊。翌日はゆっくり寝て、帰路につく。帰りついたのは夜明け前だった。
 まだ高速もほとんどなく、山間の3桁の国道は砂利道が当り前という時代に、よくも6日で3500キロも走ったと思う。ちゃんと宿泊した2回を除くと、いつも三人のうちの誰かがステアリングを握り、結構なスピードでひたすら走り続けた。ほかの二人は、助手席と後部シートで眠りこけるという具合だった。どこに行くというあてもなく、とにかく走っただけだった。

 ちょっと、この年齢になったら「やれる」とは思わないが、「やってみたい」という気持ちはずっともち続けている。そういえば、このころはガソリンが50円/Lだった。

 さてくるまのことだが、随分独創的なところが多かった。水平対抗エンジンやトーションバーサスペンションの形式は、他にはあまり例のないものだったはずである。しかも使い込んでみると、それらのユニークな点がなるほどと思える良さを持っていたところが偉かった。

 普通のくるまがNETで100馬力を超えるのが常識となった現在に持ってきたら、わずか67馬力のエンジンを積んだこのくるまなど、たちまちにして色あせてしまうのだろうか。時間によって昇華された単なるノスタルジィが、美化しているのかも知れないが、やっぱり現代に持ってきても通用するのではないかと思わせるものを確実に有していた車だと思うのである。


2012年筆者追記
 現在の富士重工は、少し持ち直しているかもしれない。ボクサーディーゼルとそれを受け止めるATを実現してくれていれば、ハイブリッドではなくそれを選んだのだが、ちょっと間に合わなかったね。

2020年筆者再追記
 50年も前のくるまだから今の電子制御とは正反対、ポイント磨きとタペット調整はしょっちゅうやる必要があったけれど、いつもくるまの健康状態は把握できていたような気がする。そして常に健康だった。67HPと出力は多くはなかったが、それでも700Kgそこそこのボディには十分で、よく走った。水平対向エンジンの独特な排気音を残して、人馬一体で走り回ったものだった。
 大学生活が終わる頃に、母親のN360と共に下取りに出して、トヨタスプリンターという凡庸な車に乗り換えた。この落差が極めて大きく、その後長い間トヨタの車には乗らなかった。富士重工のファンだったが、その後のくるま人生の振幅があまりにも大きかったため、スバル車は先に紹介したインプレッサのみ、最近はカミさんと共用のトヨタ車が続いている。今回の買い替えでも、スバルも検討してみたが、ヤリスになってしまった。色々変わるものである。

1207スバル1000スポーツと
奇跡的に出てきた日本半周時の写真、もう一名は映っていないが、代わりに今の彼の愛車を下に


1207FIAT











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改訂くるまたちの四季 MG Midget MkⅠ

 インプレッサの次はもうちょっと考えて、のんびりまとめようと思っていたのだが、先ほど元町マリン眼科に出勤したときに、とあるくるまが元町通に停まっており、予定を変えることにした。

1124MGA

 写真はMGAである。そのピークは私のくるま人生よりかなり早く、縁遠いくるまではあったが、一時期付き合っていた三浦半島野比にある一風変わった自動車屋エリートモータースの2階に、ピカピカにレストアされたMGAがビニールで封印されて置いてあり、急に身近になったという記憶がある。

1124エリートのMGA0

1124エリートのMGA


 それで本題だが、その妹分とも言うべきMG Midget に乗っていたときのことを話そう。これについては、大昔に書いたものが見つかったので、それの引用から始めたい。

89-11-02 01:04:50 SMRT8001 くるまたちの四季 その2(MGミジェット編)

 15年ほど前だった。(注:1975年頃)当時は就職した直後でもあり、車を一台に減らして母親と共同で使うことになり、何の変哲もないATの大衆車(トヨタ製)に乗っていた時期である。とくにあてにはしていなかったものの、毎月のCGの「売りたし」欄には必ず目を通していた。
 あるとき、その中に格安のMGミジェットを見つけた。持主は京都に住む学生。さっそく連絡をとったりするうちにその気になり、数回の電話でかなり煮詰まってしまった。当時は、もちろん給料もやすく、格安とはいっても大変だったはずだが、とにかく懐に金を入れ、夜行バスで京都へ。運悪く免許を紛失していたため、ドライバーとして大学生の弟を同行させた。夜行バスは早朝に到着。駅の周辺で朝食をとったりして時間を潰し、市電で車が待つ街へ。停留所から路地に入ると、向こうにミジェットが見えた。赤のボディに白いハードトップ、その朝降った雨を全身にためてキラキラ光っていた。(雨上がりの車はきれいなんだよな)
 試乗したかどうかは記憶にない。おそらく一目惚れ・即決というやつだったろう。その場で決めて、すぐ引き取った。とにかく、名神にはいって横浜へ向かう。免許はないから、弟が時折あげる歓声を聞きながらじっと耐えて帰ってきた。落ちついて眺めると、結構な車だった。MK1という最初期型で、窓はアルミのフレームにプラスチックがはめ込みになったもの(ネジ止め)、ドアハンドルは室内側のみ、幌は骨と布を別々に組み合せるもの、という具合に、きわめて雰囲気があるものだった。更に調べると、MK1の中では最後期のものらしく、エンジンは1.1リッターに拡大されていたし、Fブレーキはディスクという珍しいタイプということもわかった。有頂天、当時はまだ落ち着いていた元町や山手の丘を、喜々として乗り回したりしていた。

1124尾根道のミジェット

1124midgetと俺


 このままいけば、バラ色だったのだが。予定どおり不幸はやってくるものである。エンジンは頑丈そのものだったが、アキレス腱は、どうやらミッション。数カ月毎にトラブルが起こりはじめた。東京は遠かったので、横浜で英国車に強いメカニックを探してあったのだが、しょっちゅう厄介になるはめとなった。なぜか、調子が悪くなるのは弟が乗っているときばかり、だからギアやそのほかの重い部品を、東京のキャピタルモータースなどに買いに行く役目は、いつも彼だった。結局、ミッションの中身はほとんど交換したかも知れない。
こうなると、金の工面にも苦労する。なにしろ、エンジンから脱着しなければならないし、一桁も上の方の金が毎回かかった。当時の初任給といえば、一桁も下の方だったから身分不相応な持ち物だったかもしれない。1回の車検をはさみ、三年くらい持っていたが、あるとき決定的なことが起こってしまう。外出先から弟が電話連絡、「車輪が外れた」というもの。電話では様子がわからず、駆けつけてみると、なんとリア・アクスル(後部車軸)がサスペンションから外れて後ろにずれ、腰抜けになっていたのだった。とりあえず付近の友人に来てもらい、ジャッキをいくつかかませて持ち上げ、もぐってみた。車軸固定用のボルトが見事に折損していたのだった。力任せに車軸の位置を直し、有り合わせの針金で固定。そのまま帰ったのだから、くるまは単純なものだったし、人間も乱暴だったようだ。
いま冷静に考えれば、ミッションなどよりは、安く簡単に直るはずなのだが、度重なる修理代がボディブローのように効いていたし、おまけに、横浜の潮風は、何箇所かに穴を作りはじめていた。非常に気に入っていただけに、無理して私が持っているより、余裕のある人がちゃんとレストアすべきかも知れないと思うようになってきた。例の車軸固定金物は、取り敢えず近所の鉄工所に作ってもらい、当座はそれでごまかしていた。そういう不完全な車だから、個人に売るわけにもいかず、結局東京の中古車屋に引き取らせることにした。もちろん、私が買った格安の価格を更に下回る価格であったことはいうまでもない。
 もう10年以上も前(現在でいうと40年以上前)で、記憶も薄れているが、実に雰囲気のあるいい車だった。ダッシュのセルボタンを押してエンジンをかけるのは、それこそ儀式だったし、簡単に滑べるリアは、絶対的に遅いスピードを忘れさせた。ロードスターよりもずっと小さなボディは、実に愛らしかった。きっとロードスターにとびついて買ってしまった気持ちのルーツは、このミジェットにあったはずである。ロードスターにも当然つけたトノカバーも、このミジェットに教えてもらったものだ。くるまというのは、手放すときには必然的な理由があるものだが、後になると、何故売ってしまったのだろうという気持ちが必ず残りますね。でもしょうがないのかなぁ。

----------------------------------------引用終わり

 読み直してみたが、あまり付け足すことはない。学生時代のスバル1000スポーツ、それと新米サラリーマン時代のミジェット、この2つの軸が長い自動車趣味の座標を作っていたような気がする。


1124ミジェットとキャリイ


 そういえば、このくるまのドアを開けるときがちょっと面白い。ドアハンドルは中にだけついているから、ドアの内側に手を伸ばして開ける。窓と幌をつけているときだと、プラスチック板引違いの窓を開け、そこから手を突っ込んで開ける。この引違いの窓には鍵などついていないから、いつも変な鍵(写真参照)をつけていたんだが、これがちょっとつや消しだったかも。今と違って何でも写真を撮る時代じゃなかったから、現存する写真が少なく、それがちょっと残念だ。
1124窓の鍵



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(2)インプレッサWRX-RA続き(10年ぶり)

 クルマの系譜をまとめていたら、いろいろむかしを振り返って懐かしかった。そうなると、回顧録を書きたくなるのは年寄りの特性である。しかしながら、私は40代の頃そんなものを書いていたことがあった。会社の中でやっていたパソコンネットのフリートークのコーナーに、「くるまたちの四季」という短編集で乗ってきたいろいろな車のことを書いていたのだった。それの復古版をFACEBOOKのノートにアップしたんだが、どうもノートという機能自体が先月終わってしまったらしい。なんとか読むことはできるのだが、たどり着くのは大変だ。その再復古版はいずれ考えることにしよう。
 このBLOGの最初の頃を読み直したら、同じような回顧録に再挑戦しようとしていたらしく、一つ見つかったのがインプレッサについてだった。(2)に続くなどと書いてあるが、どうやらそれだけで頓挫したらしい。まあ、入植後2年経過した頃のシーズンオフだから、田んぼの整備などに追われており、それどころではなかったはずだと自己弁護しておこう。まあ、いろいろ乗った中からインプレッサを選んだのは今でもよく解る。最初に書く対象としてコレを選んだ理由は、その記事の中にも書いてあるが、さらに10年経過し、25年経ってもその気分は同じである。

1123インプレッサ1

 (1)をあらためて読んでみたが、どうもツッコミが足りない。もっと色々書くことがあったはずだ。思い出してみると、関西への出張の足として使った時期のことを思い出した。関西支店(当時は大阪支店と言ったかもしれないが)の支店長が大学の先輩で、住宅工事のことでこっちに来てくれという話だった。本当はこっちに来いということだったかもしれないが、東京エリアでも同じような仕事をしていたので、そちらは離さないということだったのかもしれないが、当面毎週出張していくことになった。引っ張り合いするほどの人間じゃないんだが。その頃は現場から管理部門に上がっており、普通の電車通勤に戻っていたので、脂がのったインプレッサに乗りたかった私にとっては実にありがたい話だった。毎週の初めは東京で仕事をして、火曜日くらいにインプレッサに乗って大阪に向かう。ルートは東名・時々中央高速で、名古屋より向こうは無料の名阪国道で行く。宿舎として堺の社宅を借りていたので、ルート的にも名阪ルートが好都合だったのだ。2~3日大阪にいてまた戻ってくるという無頼な生活が何ヶ月か続いたのだった。

1123インプレッサ2

 出張の目的である仕事のことはさっぱり覚えていないが、インプレッサでの往復はよく覚えている。四輪駆動260HPの軽量セダンは実によく走った。その頃のクルマはスピードチェック機構がついていたので、あるスピードに達すると警告音がなってエンジンがストンと力をなくす。毎週走っているとカメラの位置も覚えるから、それ以外の場所は深夜をいいことに人に言えないほどのスピードで走るのだが、特筆すべきはステアリングの正確さと安定性だった。最高速域でもライン1本分くらいの横移動が測ったようにできる、という表現で理解してもらえるだろうか。そんな具合だったから、毎週の出張も全く苦にならなかった。週に千数百キロだから、月に6~7千キロのペース。オドメーターはあっという間に増えていく。出張が終わったときは寂しかったはずだ。
 誰にもわかりやすいオープン2シーター3台を始め、いろいろな車に乗ったが、でも本当は速いセダン、それも見た目は普通のくるまというのが一番好きだったような気もする。実はこの手も結構多くて、極初期のスバル1000スポーツから始まり、ちょっと疑問詞がつくSSSターボ、RITMO 130TCなどがこれに当たる。リトモはサソリがついていたりして、普通のくるまとは言いにくい部分もあったけれど。 しかし、何ごとにも終わりはあるもので、この走るために特化したマシンとも別れるときがやってきた。最後のあたりは息子が乗り回していたんじゃないかな。通勤利用もしなくなり、必要なときにはカミさんの初代フィールダーを使うことにして、次の目的に備えることにしたのだった。10万キロを超えたくらいだったはずだが、実はミッションなどが少々傷んでおり、潮時というものだったろう。しばしの充電のあと、長年の夢が実現するのだが、それはまたの機会としよう。
 







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クルマの系譜

 18歳のときに免許とってから53年、長いクルマ人生だ。
 一体何に乗っていたかを思い出してみた。一番最初は上野の中古車屋で15万円で購入した薄い青のスバル・サンバー、例のてんとう虫の兄弟だ。それからいろいろ乗っている。時折カミさん用の普通の車と俺用の特殊なやつと2台になっていた。娘や息子も別のクルマに乗っていたことがあるから、多いときは4台ということもあったはずだ。昔は、クルマも壊れやすく劣化が激しかったので早めの交代だったが、最近はとても長持ちになっている。

 ということで、流れを見るとこんな具合になっていたと思う。記憶が怪しい部分もあるが、平凡なクルマも入っているからこんなもんだろう。主要なクルマについては、サラリーマン時代に社内パソコン通信に書いた「くるまたちの四季」にまとめたが、facebook のノートに転載してあるので、もしもちょっと興味あるという奇特な御仁がおられたら読んでほしい。
 それにしても、くるまの趣味は長かった。今はおとなしいクルマと軽トラ2台、それにヤンマーのいろいろと暮らしているが、昔を懐かしく思うこともなくなってきた。いや、やっぱり懐かしい。

1121SUPER7

 
 
スタートは1967年

スバル・サンバー
   |
   |
ホンダN360
   |
   |
スバル1000スポーツ
   |
   |         ホンダN360(2)母用
   |
   |
トヨタ・スプリンター
   |
   |          MGミジェット
   |
いすゞジェミニ
   |
   |
いすゞFFジェミニ
   |
   |
ブルーバードSSSターボ
   |
   |            スズキアルト
   |
   |
FFサニー
   |
   |          FIAT RITMO 130TC
   |
   |
  サニー
   |              ロードスター
   |
   |
   |          スバル・インプレッサRA
フィールダー(初代)
   |
   |
   |              スーパー7
   |
   |
                     キャリイ(DA63T)
 プリウスα
   |                   | 
   |                   |
フィールダーHV               |
             ハイゼット     |
   |           |       |
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  ヤリス          |       |

     当分この3台でやっていく
     

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富士重工の車たち

0303インプレッサ
      仕事場でのスナップ、初代インプレッサ、1/4世紀ほど前

 私のくるま史の中で、富士重工(現スバル)のものはわずか3台だったけれど、そのポジションは結構重要かもしれない。まず、免許をとって最初に乗ったのは例のてんとう虫の変種であるスバルサンバー(中古)だった。おそらく安かったから選んだに違いないこの車は、てんとう虫スバル同様リアに2サイクルのエンジンを配置し、ローがノンシンクロの3段ギアでガーガー走る。買ったときはそれほど調子は悪くなかったと思うが、最初の教習所を喧嘩でやめて半年ほど免許取得が遅れたので、まだ家ができていない横浜の土地に置きっぱなしにして、すっかり調子が悪くなった。第3京浜を走ったりすると途中でオーバーヒートするという始末だった。しかし、長さ3m幅1.3mという最初の軽の規格のなかで、4人とかなりの荷物を積める優れた乗り物ではあった。

0303スバル千S
  どこかの山越え道、同行した友人と

 次のスバルは、N360を途中に挟んで手に入れた1000スポーツだった。てんとう虫やサンバーと同様、伝説の人百瀬晋六さんがまとめた車である。てんとう虫(スバル360)もそうだけれど、この1000スポーツも工夫の塊で、その紹介だけで一冊の本ができるほどのものだった。エンジンはOHVではあったが今に続く水平対向(ボクサー)エンジンで、7000回転は軽く超えるほど軽快でバランスが良いものだった。このクルマでは、大学3年から4年になる春休み、友人二人と中部近畿山陰を回る旅行(5日間で3500キロ)をした。布団の上で寝たのは2晩、あとは交代で走るという感じ、その頃は国道でも山越えは砂利道だったから相当ハードだったはずだが、3人共クルマの申し子だったのでケロリとしたものだった。1000cc67馬力というスペックだったが、よく走り面白い車だった。その後のクルマとの付き合いの方向を決めたクルマだったと言えよう。これは次のインプレッサへの伏線となっていく。確か10万キロ以上走り、就職したときに母と共同で使うためにトヨタのスプリンターという全く面白みのない車に買い替えた。

 インプレッサについては2010年に記事にしたことがあった。


0303インプレッサ納車
  仕事場に納車となった、誕生日の2日前!

 3台目のスバルは、初代インプレッサだ。これも私にとっては特別なくるまである。これの前は19万キロで息子に譲ったロードスターである。そして、これのあとは少しあいだがあくけれど、スーパーセブンという変わり種だ。実にわかりやすいスポーツカーと超とんがったスポーツカーに挟まれているのだ。実はこのクルマ、無着色のガラス・窓は手回し・マニュアルエアコンはオプションと言う具合にスタンダード仕様なのだが、四駆だしエンジンやミッションは別物で、ラリー車のベースになるような設えのものだった。これが実に面白い車で、強烈な加速、カーブはレールのようだし、ステアリングは正確かつクイック、運転することについては乗り継いできたクルマの中では白眉といってもいいだろう。前半は通勤利用だったが、後半は数ヶ月間大阪に毎週出張という仕事があったので、往復にこれを使用した。人に言えないような速度での大阪往復は、仕事よりもずっとエキサイティングなものだった。その後は普通のサラリーマンに戻り、息子と共用することになる。
 その後はスバルとの付き合いはない。少々の浪人のあと、スーパーセブンという強烈な車に乗り、その後は百姓に転身してハイブリッド+軽トラ+ヤンマーという生活になってしまう。まあ、富士重工のクルマについては、乗って燃え尽きたというところだろうか。
 

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最初はこれにしよう インプレッサ(1)

 いろいろな車と付き合ったから、何からはじめるかはちょっと迷うところだ。最初に乗ったくるま、最後に乗ったくるま(まだ最後じゃないけれど)、いろいろな切り口は考えられるのだが、ずーっと振り返ってみて一番くるまとの付き合いが密だったと思える時期のものから始めようと思う。

9b09692b.jpg


 一枚の写真がある。1995年というと15年前だ。40代半ばの私の隣にはスバルインプレッサWRX-RAがあるが、実はこれ仕事場に納車されたその時にセールスマンが撮った写真なのである。息子が免許を取ったのもこの頃だと思うが、19万キロくらい走ったこれの前のくるま(ユーノス・ロードスター)を息子に回し、私が乗る新しい車を買ったのである。この2日後が誕生日だがとてもうれしい誕生日プレゼントというわけだ。
 前のロードスターを買ったのは、発売になったときだから1989年、その後約6年で19万キロも走ったのはかなり多い。というのは、買ってから転勤になり電車では時間がかかるという理由で通勤に使用していたからだ。本当の理由がそんなことだったかどうかは忘れたが、こんなクルマで通勤できたのだから、古きよき時代といってもいいだろう。そういう状況だから遠慮したというわけでもないが、今度はずいぶん(見た目は)地味な車にした。大昔から欲しかったスーパーセブンにしたかったのだが、さすがにそれで通勤というわけにはいかず、無難な線を選んだのである。
 このクルマは本当にそっけないクルマだった。たとえば窓はパワーではないし、オーディオもない、エアコンも。もちろんオーディオとエアコンはつけたけれど。いわゆるスタンダード仕様なのである。ただ、ミッションとかエンジンの一部とか、走るためのメカは標準よりよいものを使っていた。RAとつくこの型は、ラリーなどの特殊車両のベースになるようなものだったのだ。馬力は当時の最大280HPには及ばない260HP、しかし比較的コンパクトで軽いセダンには十分なパワーだった。貧乏人のGTRなんていう評価もあったようだ。フルタイムの四輪駆動だったから、その気になって発進すると、圧倒的に静かにそして速く先頭に立てた。そんなことはめったにやらなかったが、とにかくこの地味で速いセダンは、今思い出してもかなり懐かしいし、実にいいくるまだったと思う。このクルマには大体10万キロくらい乗ったはずだ。
 
(2)に続く
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